高橋至時

高橋至時(たかはしよしとき:1764年11月30日-1804年1月5日)は、江戸時代後期の天文学者。字は子春、号は東岡・梅軒。通称作左衛門。大阪定番同心の子として生れ、子に天文学者で伊能忠敬の没後「大日本沿海輿地全図」を完成させた高橋景保がいる。

1778年(安永7年)父の後をついで大阪定番同心となる。算学を松岡能一に学び、1787年(天明7年)麻田剛立(あさだごうりゅう)に師事して天文学暦学を学び、様々な観測機器を作成した。1795年(寛政7年)幕府天文方となり、間重富(はざましげとみ)とともに寛政暦をつくった。伊能忠敬に西洋暦を教え、忠敬の日本全国の地理測量を支援した。また、フランス人のラランドが著した天文書を調査し、「ラランデ暦書管見」を残している。