音戸の瀬戸

座標: 北緯34度11分50秒 東経132度32分18秒 / 北緯34.19722度 東経132.53833度 / 34.19722; 132.53833

音戸の瀬戸公園から望む
音戸大橋と音戸渡船

音戸の瀬戸(おんどのせと、旧表記:隠戸ノ瀬戸)とは広島県呉市にある本州(警固屋)と倉橋島音戸町)の間に存在する海峡のことである。幅はわずか90m程度、可航幅が60mしか無く、一日の船舶の通行量は約700隻で、最大で4ノットと潮流が早く、狭い所を広島市松山市を結ぶ定期船など1000トン級の船が行き交う船舶の往来が激しい海域である[1][2]。日本一短いとされる海上定期航路(音戸渡船)も就航している。また、南端最狭部にはアーチ橋とツツジで有名な音戸大橋がかかっている。2010年現在、北端で2本目の橋(仮称第2音戸大橋)の建設工事が行われている。

伝承

この海峡は、平安時代日宋貿易の航路として、1167年平清盛が開削したといわれている。一日で工事を完了させるために夕日を招き返したという伝説がある。また、工事安全祈願のために人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈めたともいわれる。平清盛ゆかりの土地であることから、開削800周年を記念して、立烏帽子直垂姿の平清盛が日没の方向に扇を向けて立つ姿の2.7mの銅像「日招像」が瀬戸の東側の高烏山麓「音戸の瀬戸公園」内に1967年(昭和42年)7月に建立された。ただし、近年の地質調査では、清盛の時代より遥か以前から、この海峡には船舶の航行に十分な水深があり、本州側と音戸側が地続き、あるいは浅瀬で結ばれていたと考えられる証拠は存在しないとされている。

音戸渡船

音戸渡船は300年の歴史があるともされる瀬戸の渡船[3]で、現在は瀬戸中央部の警固屋八丁目(呉市営バス「音戸渡船口」)と音戸町引地二丁目(呉市営バス「音戸」)間を就航している。運航距離120mは日本一短い海上定期航路といわれている[3]。運航時間は5時30分~21時で、2010年1月末現在の渡船運賃は大人70円、小人40円、自転車込み90円(いずれも片道)[4]。一日2~300人が利用している。

瀬戸には1961年に瀬戸内海初の本土・離島間を結ぶ音戸大橋が架けられ、橋は歩行者の通行も可能であるが、橋本体及び取り付け道路には僅かな路側帯が設置されているのみで歩道の設備はなく、また高低差があって登坂距離が長く、徒歩や自転車での横断が難儀であるため、2010年現在も渡船が継続されている。

周辺

  • 瀬戸の東側の高烏(たかがらす)山麓にあって瀬戸全体を見渡せる「音戸の瀬戸公園」は清盛の「日招き伝説」の地であり、瀬戸開削800周年記念の「日招像」も建てられている。像の建つ地を日招台(旧称日招山)という。公園内には多数のサクラがとツツジが植栽され、それぞれの開花時期には花見でにぎわう。特にツツジは音戸大橋登坂路の両側道路用地斜面にも植えられ、一体となって立体的な景観となる。
    公園の内外には、かつて広島湾要塞の施設として、旧日本陸軍の高烏堡塁と休石砲台、旧日本海軍の隠戸水雷衛所が設置されていた。
  • 瀬戸南端の倉橋島側岩礁上に清盛の功績を称え供養する宝篋印塔1184年元暦元年)に建てられている。これを清盛塚といい、1951年(昭和26年)には県史跡に指定されている。

外部リンク

  1. ^ 海上保安庁呉海上保安部「音戸大橋」2010年2月3日閲覧
  2. ^ 海上保安庁呉海上保安部「『音戸ノ瀬戸』の潮流について」2010年2月3日閲覧
  3. ^ a b 中国新聞「日本一短い航路、住民が支援 経営難の音戸渡船」2010年2月1日付け、2010年2月3日閲覧
  4. ^ 呉市「生活航路」2010年2月3日閲覧