長波 (駆逐艦)

Naganami.jpg
艦歴
計画 1939年度(マル4計画
起工 1941年4月5日
進水 1942年3月5日
就役 1942年6月30日竣工
その後 1944年11月11日戦没
除籍 1945年1月10日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 Ⅱ×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
(九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

長波(ながなみ)は、日本海軍駆逐艦夕雲型の4番艦である。

艦歴

1939年度(マル4計画)仮称第119号艦として藤永田造船所で建造。1942年(昭和17年)6月30日に竣工して一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍となる。

竣工後、横須賀鎮守府海面防備部隊直率部隊に編入されて横須賀に回航された後[1]相模湾方面での哨戒に従事[2]。また、7月20日に横須賀を出撃してキスカ島へ資材輸送任務に就き[3]、帰途に輸送船を護衛して8月4日に横須賀に帰投した[4]

ガダルカナル島を巡る戦い

8月31日、第二水雷戦隊田中頼三少将(海軍兵学校41期))に第三十一駆逐隊が編制されて巻波とともに編入され[5]瀬戸内海で訓練を行って待機した[6]。9月6日、第三戦隊(戦艦金剛榛名栗田健男中将(海軍兵学校38期))を護衛してを出撃[7]トラック諸島に進出後は前進部隊に編入され、ガダルカナル島の戦いに関わる海上作戦に加わることとなる。

10月11日、第二水雷戦隊はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場艦砲射撃する第三戦隊を護衛してトラックを出撃。10月13日から14日にかけての深夜に行われた砲撃においては、襲来してきた魚雷艇の一群を追い払った[8]。砲撃後、第三戦隊とともにガダルカナル島を後にした第二水雷戦隊は、同じくヘンダーソン飛行場砲撃に向かう重巡洋艦妙高摩耶の護衛に旗艦軽巡洋艦五十鈴と第三十一駆逐隊を加勢させる事として兵力を分割した[9]。妙高と摩耶は10月14日夜にガダルカナル島タサファロングの浜辺に突入して枕を並べて全滅した高速輸送船を見つつ、10月15日夜に艦砲射撃を敢行[10]。砲撃は約1時間で終わり[11]、第三十一駆逐隊も砲撃を行った。戦場を離脱後、10月17日夜に第二艦隊近藤信竹中将(海軍兵学校35期))および第三艦隊南雲忠一中将(海軍兵学校36期))主力と合流し[12]、補給を行いつつ敵を求めて進撃を続けた。10月26日の南太平洋海戦を経て、10月30日にトラックに帰投した[13]

11月3日、第二水雷戦隊は外南洋部隊増援部隊としてトラックを出撃してショートランドに向かう。11月6日深夜、第三十一駆逐隊を含む駆逐隊四隊は、ガダルカナル島への鼠輸送を行うためショートランドを出撃[14]。途中でB-17 の空襲を受け、戦死者3名と重傷者7名を出し、一番砲塔などに被害があった[14]。深夜にタサファロング沖に到着して糧食を降ろし、傷病兵と便乗者を乗せて帰投した[15]。間を置かず、第二水雷戦隊は11月12日に、第三十八師団佐野忠義中将)の将兵を乗せた11隻の輸送船とともにショートランドを出撃し、タサファロングに突入する第一分隊を護衛した。しかし、11月14日になって輸送船団はヘンダーソン飛行場から飛来した空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) の艦載機[16]陸軍機、海兵隊機による8度にわたる反復攻撃を受け、11隻の輸送船は約半数が沈没するか引き返した。田中少将は駆逐艦と残存の4隻の輸送船をサボ島沖に向かう第二艦隊の後につけさせ、第三次ソロモン海戦(戦艦の夜戦)が生起した隙を突いて輸送船をタサファロングの浜辺に擱座させた[17]。第二水雷戦隊は11月15日にショートランドに帰投した[18]

ルンガ沖夜戦

輸送船によるガダルカナル島突入が失敗に終わると、ガダルカナル島に対する輸送作戦はドラム缶を用いた鼠輸送に切り替えた。田中少将は月齢、作業時間、訓練などを勘案して12月1日以降に決行してはと第八艦隊三川軍一中将(海軍兵学校38期))に二度意見具申したが[19]、潜水艦による輸送が進捗しない事やガダルカナル島の将兵の糧食が厳しくなっている事を理由に、意見は二度とも却下された[20]。二度も意見を却下された田中少将は、配下の駆逐艦全てから予備魚雷を降ろし、警戒艦を除く各艦にドラム缶を200個から240個搭載させた[21]。警戒艦は第三十一駆逐隊の諸艦に割り振って、警戒隊と二つの輸送隊の警戒担当とし[22]、田中少将は長波を臨時の旗艦とした。

11月29日夜22時45分、第二水雷戦隊はショートランドを出撃して北方からガダルカナル島を目指した[23]。しかし、翌11月30日朝に偵察のB-17 に発見される[24]。これを受け、南太平洋軍司令官ウィリアム・ハルゼー大将は「東京急行」を阻止すべく、カールトン・H・ライト少将の第67任務部隊英語版を出撃させた[25]。サボ島沖に差し掛かった20時30分頃、警戒隊の高波は単艦先行してアメリカ艦隊の攻撃に備え、長波、巻波も輸送隊からやや離れて警戒の任務にあたった。21時12分、高波が第67任務部隊を発見する。敵発見の報を受けて、田中少将はドラム缶を投棄させて戦闘態勢に入った。ルンガ沖夜戦の始まりである。敵発見を報じた高波は、21時20分から第67任務部隊の集中砲火を浴び、直ちに反撃の酸素魚雷を発射したものの、袋叩きの末航行不能となった[26]。その隙を突いて他の駆逐艦も酸素魚雷を発射し、その槍衾は第67任務部隊の巡洋艦部隊に襲い掛かった。先頭のミネアポリス (USS Minneapolis, CA-36) には魚雷が2本命中し艦首を吹き飛ばし、ミネアポリスの後方を包んでいたニューオーリンズ (USS New Orleans, CA-32) も魚雷の射線に飛び込み、艦首に魚雷が命中してミネアポリス同様に鼻先を失った。3番艦ペンサコーラ (USS Pensacola, CA-24) は損傷したミネアポリス、ニューオーリンズ両艦を避けるべく左に舵を切ったが、両艦からの火災によってペンサコーラの艦影が浮かび上がり、日本側による2度目の雷撃の格好の目標となってしまった。ペンサコーラには1本が後部マスト直下の左舷側に命中し、機械室が破壊され砲塔3基が使用不能になった上、大火災が発生した。4番艦ホノルル (USS Honolulu, CL-48) は30ノットの速力で相手から離れ無事だった。5番艦ノーザンプトン (USS Northampton, CA-26) は魚雷2本が左舷後部に命中したが、命中穴は大きく同一箇所に命中したようだった[27]。ノーザンプトンは左に大きく倒れ、3時間後に傾斜して燃えながら沈没していった。長波は海戦で、大口径弾の至近弾を受けて軽い損害を蒙った[28]。第二水雷戦隊は高速で戦場を後にしてショートランドに帰投した。

昭和17年12月から昭和18年前半の戦い

しかし、海戦には勝利したものの本来の目的であるドラム缶輸送は果たせていなかった。そのため、12月に入ってからも輸送作戦が繰り返される事となった。12月3日から4日にかけての第二次輸送、12月7日から8日にかけての第三次輸送、12月11日から12日にかけての第四次輸送に従事するが[29]、空襲や魚雷艇の妨害などによって輸送作戦は上手くゆかなかった。12月14日にラバウルに後退してからはムンダへの輸送作戦に参加する[30]。12月25日から26日にかけては、コロンバンガラ島への輸送任務に向かう途中でアメリカ潜水艦シードラゴン (USS Seadragon, SS-194) の雷撃を受け、さらに護衛の駆逐艦卯月と衝突して二重の損傷を負った輸送船南海丸(大阪商船、8,416トン)に対する救援活動に従事した[31]。12月30日、第二水雷戦隊司令官が田中少将から小柳富次少将(海軍兵学校42期)に代わり、引き続き長波を戦隊旗艦とした[32]

年明けた1943年(昭和18年)1月2日から3日にかけての第五次輸送に参加の後トラックに下がる事となり、1月14日にトラックに到着した[33]。小柳少将は着任後1ヵ月で伊崎俊二少将(海軍兵学校42期)に司令官の座を譲り、長波から将旗を撤収した[32]。1月14日から3月7日にかけてはトラックで整備を行い[34]、3月8日に、前年暮れに救援した南海丸を護衛してトラックを出港し、瀬戸内海まで護衛の後舞鶴に回航され、舞鶴海軍工廠で修理に入った[35]。修理後横須賀に回航されて、空母雲鷹冲鷹を護衛してトラックに向かう[36]。5月8日に雲鷹、冲鷹に戦艦大和を加えてトラックを出港し、5月13日に横須賀に帰投の後、北方部隊に編入された[37]占守島片岡湾に進出して行動を開始するも、故障発生により再び舞鶴海軍工廠で修理が行われ、修理後は幌筵島に進出した[38]



1943年(昭和18年)7月、キスカ島撤退作戦に参加。その後、ブーゲンビル島沖海戦に参加した。11月11日、ラバウル空襲により大破し航行不能となった。12月1日からトラックで応急修理を行い、12月25日から翌年5月末までで修理を実施した。

1944年(昭和19年)11月11日、第三次オルモック輸送作戦で米空母艦載機の攻撃によりフィリピンのオルモック湾にて戦没。

歴代艦長

艤装員長

  1. 隈部伝 中佐:1942年5月20日 -

艦長

  1. 隈部伝 中佐:1942年6月30日 -
  2. 森卓次 少佐:1943年11月25日 -
  3. 飛田清 少佐:1944年6月1日 -

脚注

  1. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030319500, pp.48,49
  2. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030319700, pp.22
  3. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030319700, pp.27
  4. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030319800, pp.11 、C08030320800, pp.26
  5. ^ 『横須賀鎮守府戦時日誌』C08030320800, pp.20
  6. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030095600, pp.5
  7. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030097200, pp.4,5
  8. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.16,29,30
  9. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.36
  10. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.37
  11. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.37,38
  12. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.73
  13. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.71
  14. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15
  15. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.15,16
  16. ^ 南太平洋海戦での損傷の修理中、艦載機をヘンダーソン飛行場に移動させていた(木俣, 232、233ページ)
  17. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.23
  18. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.7
  19. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.38,40
  20. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.40,41
  21. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.1,2,42,43,44
  22. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.1,3,4
  23. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.44,45,48
  24. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.45,48
  25. ^ ポッター, 306ページ
  26. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.52
  27. ^ 木俣, 242ページ
  28. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.51
  29. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099600, pp.4,6
  30. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099600, pp.6
  31. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099600, pp.25,26,33
  32. ^ a b 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100200, pp.7
  33. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100200, pp.5,10
  34. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100200, pp.10 、C08030100400, pp.7 、C08030100500, pp.7
  35. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100500, pp.12,15
  36. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100600, pp.6
  37. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030100700, pp.6 、『第一水雷戦隊戦時日誌』C08030084000, pp.8
  38. ^ 『第一水雷戦隊戦時日誌』C08030084400, pp.15,35,45

参考文献

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  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年八月一日至昭和十七年八月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030095600
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  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098800, C08030099000
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  • 特設運送船南海丸『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 南海丸戦時日誌』(昭和17年12月1日~昭和18年3月31日 南海丸戦時日誌) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030670500
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年一月一日至昭和十八年一月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100200
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年二月一日至昭和十八年二月二十八日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100400
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年三月一日至昭和十八年三月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100500
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100600
  • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年1月1日~昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030100700
  • 第一水雷戦隊司令部『自昭和十八年五月一日至昭和十八年五月三十一日 第一水雷戦隊戦時日誌』(昭和18年3月1日~昭和18年5月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030084000
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  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 永井喜之、木俣滋郎「アメリカ重巡「ノーザンプトン」」『撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年、ISBN 4-257-17208-8
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 雑誌「丸」編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
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  • 橋本衛「駆逐艦「長波」残弾なし!完結編」『丸 第45巻・第1号』潮書房、1992年
  • 田村俊夫「米潜「ダーター」の機銃を装備した「長波」」『歴史群像太平洋戦史シリーズ51 帝国海軍 真実の艦艇史2』学習研究社、2005年、ISBN 4-05-604083-4
  • 田村俊夫「「長波」とした写真の訂正」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ70 完全版 特型駆逐艦』学習研究社、2010年、ISBN 978-4-05-606020-1

関連項目