箱根登山バス

箱根登山バス株式会社
Hakone Tozan Bus Co., Ltd.
Tozan-Odawara-office.jpg
小田原営業所(左奥の建物が本社)
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 箱根登山、登山バス
本社所在地 日本の旗 日本
250-0003
神奈川県小田原市東町5丁目33番地1号
設立 1998年6月4日[注釈 1]
業種 陸運業
法人番号 3021001033505 ウィキデータを編集
事業内容 旅客自動車運送事業、貨物自動車運送事業他
代表者 代表取締役 伊藤悦充
資本金 8億円
従業員数 216名
主要株主 小田急箱根ホールディングス(100%)
外部リンク http://www.hakone-tozanbus.co.jp/
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箱根登山バス(はこねとざんバス)は、小田急箱根ホールディングスの路線バス事業を行なう会社。2002年10月1日に当時の箱根登山鉄道株式会社の分社化により事業を引き継いだ。

神奈川県小田原市、箱根町、南足柄市、湯河原町を中心に路線バスの運行と企業や学校などの受託運行をしている。本社は湘南箱根登山自動車とともに小田原市東町にある。通称は、箱根登山鉄道のバス部門だった頃から「登山バス」で、近年導入の一部車両には「ハートフルバス とざん」とも書かれている。一部路線は静岡県御殿場市へも乗り入れていて、小田急箱根高速バスと補完関係にある。かつては貸切バス事業も行なっていたが、貸切部門は7台を除いて湘南箱根登山自動車に一本化されている。

本項目では箱根登山鉄道のバス部門(自動車部)によって事業が行われていた時代についても説明する。

沿革

創業期

箱根地区にバスが走り始めたのは、1913年小田原電気鉄道が開始した貸自動車業で、現代で言えばハイヤーに相当するサービス内容であった[1]1914年には富士屋ホテルの経営者がホテル宿泊客の送迎のために富士屋自働車を設立した[1]。富士屋自働車は1915年には国府津駅を起点として箱根各地域を結ぶ乗合自動車(路線バス)の許可を取得、1919年6月より運行を開始した[1]。これが箱根地区における路線バスの端緒であるが、この運行開始は小田原電気鉄道が湯本から強羅までの登山鉄道の開通と同時であり、即ち鉄道とバスの競合の始まりでもあった[1]

富士屋自働車が高級な車両を投入し[1]、横浜や東京に至る長距離路線の運行を開始する[1]と、対する小田原電気鉄道は小涌谷から箱根町まで、自社鉄道線に接続する路線バスの運行を1921年より開始した[2]。富士屋自働車はさらに三島沼津にまで路線網を拡大[2]1931年には省線との連帯運輸を開始した[2]。一方、小田原電気鉄道は1928年1月にいったん日本電力に合併した[2]あと、同年8月に再度箱根登山鉄道として分社化された[2]が、こちらも1929年には国府津まで、1931年には箱根湯本と箱根町を結ぶ自社鉄道線と並行する路線バスの運行に至った[2]

しかし、この2社の競合は次第にエスカレートし、現地での社会問題にまで発展した[2]ことから、1932年には阪急電鉄社長の仲介により[2]両社のバス事業を統合することになった。こうして、1933年1月に箱根登山鉄道のバス事業全てが富士屋自働車に譲渡され、富士屋自働車は社名を富士箱根自動車に変更した[2]1934年には主に足柄地区の路線を運行していた足柄自動車(1921創業)を傘下に組み入れた[2]

戦時統合

富士箱根自動車となってからも積極的な営業は行われ、サウラーなどの大型車が導入された[2]が、この中にはオープンタイプの車両も含まれていた[2]

しかし、戦時体制の波は富士箱根自動車にも影を落とすことになる[2]1935年に電力統制が行われると、富士箱根自動車は箱根登山鉄道とともに日本電力の傘下に入った[2]。戦時体制が強化されると、不用不急の路線は休止を命じられることになり、鉄道並行路線や観光路線などはこれによって休止されたが、これは全路線の6割強に達した[2]。さらに、1942年に強制統合の通牒が出され、統合母体として箱根登山鉄道が選ばれることになり、富士箱根自動車と足柄自動車は1944年箱根登山鉄道に合併となり、同社の自動車部門となった[2]。また、同時に東京急行電鉄の傘下に入っている[2]

本項では以下、単に「登山バス」とした場合は箱根登山鉄道および箱根登山バスをさすものとする。

戦後の復興

終戦間もない1945年11月より、小田原から宮ノ下・江ノ浦への路線について運行を開始[3]、以後順次休止路線の運行再開を図るが、路線網がほぼ完全に復旧したのは1954年と、9年を要している[3]。この間の1948年、戦時統合により巨大な鉄道事業者となっていた東急から、小田急電鉄(小田急)・京浜急行電鉄(京急)・京王帝都電鉄(京王)が分離したが、元来旧・小田急電鉄が運行していた井の頭線は京王の所属となり、その代わりとして神奈川中央乗合自動車(当時)とともに新生・小田急の傘下に入ることになった[3]

1950年には貸切バス事業も再開、翌年には東京都・静岡県・山梨県にも営業エリアを拡大した。また、長距離路線の開設も目立ち、1950年には東京から箱根・熱海へ直通する路線を開設した[4]ほか、1952年には富士山麓電気鉄道(当時)との運輸協定により小田原駅と山中湖を結ぶ路線も開設された[3]

貸切バス事業においても、1953年には東京都内で貸切バス事業を行っていた新光バスを買収し、1956年に箱根登山バス(2003年以降とは別の会社)と改称した上で1960年に登山バスに吸収合併した[5]

箱根山戦争と事業拡大

大正後期以降、芦ノ湖近辺では箱根土地(当時)が別荘地の分譲などを中心とした観光開発を行なっており[6]、開発に欠かせない交通機関の整備についても西武グループの手で熱海峠箱根峠の間と、小涌谷から湖尻を経由して元箱根に至る有料道路を運営し、駿豆鉄道(当時)の路線バスが運行されていた[6]。しかし、東京へ直通する交通機関を持たなかった駿豆鉄道では、小田原に路線バスを乗り入れさせ、観光の拠点とすべく[7]、1947年9月に小田原から小涌谷までの路線バスの運行免許申請を行った[7]。しかし、この区域は登山バスの営業エリアであることから、自社防衛の見地から登山バスは反対の立場をとった[3]。この時は1950年3月に両社の協定により、駿豆鉄道は途中停留所と運行回数の制限を、登山バスは1年ごとの有料道路利用契約の更新をそれぞれ条件とした上[7]で、小田原への駿豆鉄道バスの乗り入れを認める代わりに、登山バスが初めて芦ノ湖北岸へ乗り入れることになった[3]

これに続けて、小田急と登山バスは、それまで駿豆鉄道が独占して運航していた芦ノ湖の湖上交通への進出を図った[7]。1950年3月に箱根地区で西武グループに敵対の立場を取っていた有力者と共同で船舶会社(箱根観光船)を設立した[7]。当初は小型遊覧船のみの小規模な事業形態であったが、1954年には芦ノ湖一周航路の免許を取得し、1956年には大型船を就航させた[7]

駿豆鉄道側ではこれに対する報復として[7]、1956年6月に有料道路通行契約が満了すると共に契約を破棄し、以後の登山バスの通行を拒否した[7]。これが後に箱根山戦争として広く知られ、獅子文六の小説「箱根山」の題材にもなった西武グループと小田急グループの対立の始まりであった[7]

その後、1959年箱根ロープウェイが開通し、小田急グループのみで芦ノ湖北岸へ到達できるようになったこと[7]と、1961年に有料道路を神奈川県が買い上げた上で一般道路として開放した[7]ことで、事実上の抗争は終結[5]1968年には数多くあった訴訟案件も決着がついた[5]ことから、両社は以後共存してゆくことになる[7]。しかし、既に独自の周遊ルートを築いていたこともあり、小田原駅での観光客の呼び込みや箱根地区でのターミナルの違いなど、競合の構図は残った[5]

これらの紛争の間にも、事業区域の拡大は進められた。1950年代には東海道本線と並行する路線が新設されたほか、1958年には定期観光バスの運行を開始している。また、1960年代には三島・沼津地区において東海自動車・富士山麓電気鉄道との免許争奪合戦も行われた[8]

貸切バス事業においても拡大傾向は続き、1963年には名古屋にも営業所を設置した[5]上で、1968年には箱根登山観光バスとして独立させている[5]

モータリゼーションの波と事業再編成

1970年代に入ると、モータリゼーションの進展に伴い、路線バスの走行環境は悪化の一途をたどる[9]。特に登山バスの主たる路線は国道1号という幹線でありながらカーブの多い山岳道路を経由しており、観光客を乗せたマイカーが特定の道路に集中することによる渋滞[9]とそれに伴う利用者減は、登山バスに対して深刻な影響を及ぼすものとなった。このため、1982年より中型車の導入が開始され、通勤通学路線の開拓を進めた[9]他、1985年からは地域密着経営の一環として、沿線の小学生の絵画を車内に展示する「ギャラリーバス」の運行を開始した[9]。一方で、1978年からは箱根旧街道経由のバスを毎日運行に切り替えた[9]ほか、定期観光バスのコースを拡充したり、祭りに合わせて会員制ツアーバスの運行を行う[9]など、新規需要の開拓に努めた。1998年5月からは、箱根地区の施設を巡る循環バスの運行を開始した。

しかし、モータリゼーションの進行に加え、箱根地区を訪れる観光客自体が減少傾向となった[10]ことにより、バス事業をとりまく環境はさらに厳しくなったため、長距離路線の廃止や短縮などが行われた[10]。また、1996年には秦野市内の登山バス路線については神奈川中央交通100%出資の湘南神奈交バスに移管[10]、さらに1998年には沼津地区の路線バスを分社化の上沼津箱根登山自動車を設立した[10]。さらに、2002年10月には小田急グループ全体の再編成が行われた。沼津箱根登山自動車は全路線沼津東海バスに譲渡された上、沼津登山東海バスと改称された[11]ほか、熱海営業所は伊豆東海バスに統合された。残った箱根登山のバス部門は沼津箱根登山自動車に譲渡の上社名を箱根登山バスと改称した[11]

貸切バス事業についても、東京・横浜の各営業所については1996年に箱根登山観光バスに移管[10]1997年には横浜と東京の各営業所を移転の上統合した[10]が、同社は2002年には営業を廃止した[11]。また、小田原観光営業所の貸切バス事業は1994年設立の箱根湯本バスに移管された[10]後に、2000年に湘南箱根登山自動車に社名変更した[11]。その後、2010年には湘南箱根登山自動車を箱根登山観光バスに社名変更している[12]

2004年度には、小田急グループと西武グループとの協力体制構築が発表された[11]ことを受け、伊豆箱根鉄道バスとは共同歩調をとることになり、停留所名の統一などが行われた[11]。さらに、2010年6月15日からは、伊豆箱根バス・小田急箱根高速バス・沼津登山東海バスと連携し、箱根地区の路線に系統記号を設定し、路線図も各社共通の様式で作成した上で各停留所や案内所で掲出することになった[13]

年表

  • 1912年3月1日 小田原電気鉄道が貸切自動車営業を開始。
  • 1914年8月15日 富士屋ホテルが富士屋自働車を開業。当初は貸自動車業(現在のハイヤー)を営む。
  • 1915年 富士屋自働車がホテル顧客限定ながら横浜山下町-箱根宮ノ下間で乗合自動車を運行。(神奈川県のバス事業の嚆矢)
  • 1919年6月1日 富士屋自働車が国府津駅-箱根町間で乗合自動車を開業。
  • 1921年7月 小田原電気鉄道が小涌谷-箱根間で乗合自動車の運転を開始。
  • 1933年 箱根登山鉄道が富士屋自働車へ自動車事業を譲渡。同社は箱根登山鉄道の関連会社となり、富士箱根自動車と改称。
  • 1944年 箱根登山鉄道が富士箱根自動車および足柄自動車を合併(バス事業に再参入)。
  • 1996年4月1日 秦野地区の路線を、同じ小田急グループ傘下の湘南神奈交バスに移管。
  • 1998年6月4日 沼津地区の路線を「沼津箱根登山自動車株式会社」として分社化。
  • 1999年7月 貸切部門を、箱根湯本バス株式会社(その後湘南箱根登山自動車株式会社に社名変更)と沼津箱根登山自動車株式会社に移管。
  • 2002年2月 東京・名古屋で営業をしていた「箱根登山観光バス株式会社」を清算。沼津箱根登山自動車の貸切営業を廃止。
  • 2002年10月1日 箱根登山鉄道株式会社のバス部門を全て分社化する会社再編を実施。静岡県内の路線を、同じ小田急グループ傘下の東海バスグループに移管。熱海地区の路線を伊豆東海バスに譲渡。沼津箱根登山自動車の路線を沼津東海バスに移管(沼津東海バス株式会社は沼津登山東海バス株式会社に商号変更)。残りの箱根登山鉄道のバス路線を箱根登山バス株式会社(沼津箱根登山自動車株式会社から商号変更)に譲渡。
  • 2007年3月18日 PASMO導入
  • 2008年9月1日 レトロ調バス「スカイライト」2台導入。
  • 2010年6月15日 箱根地区の路線に運行各社と連携し系統記号を導入[13]
  • 2010年7月31日 バス共通カードの取り扱いを終了。

営業所

  • 小田原営業所(小田原営業所と小田原観光営業所の路線バス部門を統合)
所在地…神奈川県小田原市東町5-33-1
所在地…神奈川県足柄下郡箱根町宮城野618-1
所在地…神奈川県南足柄市関本588
所在地…神奈川県足柄下郡湯河原町城堀12-1

過去に存在した営業所

  • 小田原観光営業所(路線バス部門は小田原営業所に統合、貸切部門は箱根湯本バスに移管後湘南箱根登山自動車に商号変更)
  • 熱海営業所(伊豆東海バスに譲渡)
  • 沼津営業所(沼津箱根登山自動車に分離後、沼津登山東海バスに譲渡)
  • 横浜観光営業所(箱根登山観光バスに移管され、関東支店神奈川営業所となった後に東京営業所に統合)
  • 東京営業所(箱根登山観光バスに移管され、関東支店東京営業所となった後、神奈中観光に譲渡)
  • 名古屋営業所(箱根登山観光バスに譲渡後廃止)

車両

定期観光バス専用車 B174

車両概説

いすゞ・日野・三菱の3メーカーを導入している[14]。箱根地区の道路環境から、自社導入の大型車は全て短尺の高出力車を採用している[15]。また、貸切車については、全てフルエアブレーキ仕様である[15][注釈 2]

箱根登山バスの路線バスの特徴として、トップドア車(乗降扉が前方1つだけ)であってもドアの直後の窓には側面方向幕を設置せず、1つ後の窓部分に設置するという独特の仕様が挙げられる[15]。これは、方向幕の大型化に伴い、急カーブで極力視界を確保するためとされている[15]

定期観光バスを運行していることから、標準床ながらオールリクライニングシートの観光仕様路線車も導入しているが、当初から路線・定期観光の兼用として導入された車両と、貸切・定期観光から路線車に格下げされた車両がある。2010年には、同社では11年ぶりとなる[16]定期観光バスの更新と同時に、神奈川県内では初導入となる[16]日野・セレガハイブリッドを導入している[16]

乗降方式は車両の扉位置にかかわらず前乗り前降りである[15]。中扉のある車両については、以前は締切扱いにしたり、譲受車の中には中扉を埋めたものもあったが、交通バリアフリー法施行以後は、中扉は車椅子専用の出入口として使用している。

カラーリング

戦後に採用されたカラースキムは、クリーム色の上下に青い帯が入るものであったが、1980年からは白ベースに青の濃淡2色と赤のラインが入るものになった[18]。しかし、塗装パターンが比較的複雑である上に特別色も含まれていることからコストが高く[18]、2000年代には「ハートフルバスとざん」色や試験塗色の採用なども行われた。2010年の新車からは、クリーム色ベースで灯火をイメージするオレンジ色(同社では「柿渋色」と呼称)の帯を配した上、箱根細工をイメージするデザインに変更されることになった[19]。これまでの塗装デザインの車両については塗り替えは行わない[19]

譲受車・譲渡車

1970年代から2000年代初頭までは、東京都交通局神奈川中央交通長崎自動車からの譲受車や、東京都交通局の注文流れの車両を導入していた。近年は排出ガス規制強化に対応するため車両の更新は全て新車によって行なわれている。2007年7月現在、最も古い車両でも1996年式で、逆に他社へ譲渡される事例もみられる。最近では、グループ会社の東海バスへの譲渡が多い[14]

車両番号

車種頭文字(B:路線、BH:貸切、特:特定車)の後に3桁の連番となる[20]。2001年から2003年までの導入車両については、営業所頭文字(K:小田原観光、T:(2001年当時の)熱海、Y:湯河原、A:足柄)+年式記号(A:2001年、B:2002年、C:2003年)+2桁の連番となる附番方式を採用していたが、2004年以降は2000年までの附番方式に戻されている[20]

脚注

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注釈

  1. ^ 旧商号は「沼津箱根登山自動車株式会社」。2002年10月1日の会社再編により、同日より箱根登山バスとしての事業を開始。
  2. ^ 排気ブレーキの使用頻度が高いため、日野RE100・RV731系では排気ブレーキのスイッチをハンドルの左側に取り付ける改造が施工されていた。

出典

  1. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.25
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.26
  3. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.27
  4. ^ 『すばらしい箱根 グラフ100』 p.62
  5. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.28
  6. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.98
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル』通巻679号 p.99
  8. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.21
  9. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.29
  10. ^ a b c d e f g 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.30
  11. ^ a b c d e f 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.31
  12. ^ 会社概要”. 箱根登山観光バス. 2010年12月27日閲覧。
  13. ^ a b “箱根エリアバス路線の系統記号化を実施します” (プレスリリース), 小田急電鉄, http://www.odakyu.jp/program/info/data.info/5473_4627422_.pdf 2010年6月14日閲覧。 
  14. ^ a b 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.32
  15. ^ a b c d e 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.33
  16. ^ a b c 『バスラマ・インターナショナル』通巻119号 p.8
  17. ^ 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.57
  18. ^ a b 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.35
  19. ^ a b 箱根登山バス新ボディーカラーの導入について (PDF)”. 箱根登山バス. 2010年6月14日閲覧。
  20. ^ a b 『バスジャパン・ハンドブックR・58』 p.60

参考文献

書籍

  • 『すばらしい箱根 グラフ100』箱根登山鉄道株式会社、1988年。
  • バスジャパン・ハンドブックシリーズR・58 東海自動車・箱根登山バス』BJエディターズ、2006年。ISBN 4434072730

雑誌記事

外部リンク