水戸市立図書館

Japanese Map symbol (Library) w.svg 水戸市立図書館【全体用】
Mito City Library
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施設情報
正式名称 水戸市立図書館
専門分野 総合
事業主体 水戸市
管理運営 水戸市教育委員会(4館は図書館流通センター[1]
延床面積 13,116.28[2] m2
開館 1944年10月1日[3]
所在地

茨城県水戸市に6館

水戸市立図書館の位置(茨城県内)
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中央
水戸市立図書館
水戸市立図書館
水戸市立図書館
水戸市立図書館
水戸市立図書館
統計・組織情報
蔵書数 995,593冊(2017年3月31日[5]時点)
貸出数 1,220,080冊(2016年度[6]
来館者数 829千人★(2016年度[4]
貸出者数 264,642人(2016年度[6]
年運営費 599,343千円(2017年度予算[7]
条例 水戸市立図書館条例(昭和55年3月28日水戸市条例第20号)
職員数 90人(2017年4月1日現在、兼任・臨時職員含む[4]
公式サイト www.library-mito.jp/
備考 ※統計数値は6館の合計。
★内原図書館は来館者数の統計なし。
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館
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中央図書館
中央図書館入口
東部図書館
内原図書館

水戸市立図書館(みとしりつとしょかん)は茨城県水戸市にある公立図書館の総称である。基幹となる図書館は水戸市立中央図書館であるが、中央図書館は2016年(平成28年)より耐震補強工事のため休館しており、内原図書館が中央図書館の業務を代行している[8]

図書館一覧

水戸市立図書館は以下の6館で構成される[9]。統計数値は2016年度現在[10]

図書館名 所在 開設 蔵書数(冊) 床面積m2
中央図書館 大町3-3-20 1944年10月 456,840 2,917.96
東部図書館 元吉田町1973-27 1989年4月 125,334 1,802.42
西部図書館 堀町2311-1 1992年4月 115,133 1,991.28
見和図書館 見和2-500-2 2006年4月 149,562 1,994.12
常澄図書館 大串町2134 2008年4月 70,141 542.88
内原図書館 内原町1497-16 2010年4月 78,583 1,873.34

歴史

開館と焼失(1944-1945)

水戸市には1903年(明治36年)2月設立、1904年(明治37年)4月26日開館の茨城県立図書館が既に存在していた[11]が、水戸市立図書館は1944年(昭和19年)10月1日に設立された[3]。設立の契機となったのは、1938年(昭和13年)に設立された水戸藩産業史研究会が、母体とする茨城農工銀行の日本勧業銀行への合併により同研究会の活動が困難になったことであった[12]。研究会では水戸藩の産業・経済を研究し、その事績に学ぼうという趣旨で設立されたため、水戸藩に関する資料を多数収集しており、自らの研究成果をまとめた会報を発行していた[13]。しかし、研究会の母体である茨城農工銀行が合併により消滅することが決まったことから、研究会は活動困難となり、収集した資料の寄贈と市立図書館の建設を水戸市当局に申し入れ、茨城農工銀行は建設促進のため10万円を寄付した[14]。これを受けて水戸市会は1944年(昭和19年)9月29日に図書館費新設のための補正予算などを可決し、翌9月30日には茨城県知事今井久)から図書館設立の認可を得て、さらに翌10月1日に時の市長・渡辺覚造を館長とし、研究会の職員であった2名を書記に任命して水戸市立図書館を設置した[14]。この設置日は組織としての図書館の設置がなされた日で、実際の開館はこれより後である[注 1]

館舎は棚町三丁目23番地(現・三の丸二丁目2番29号[注 2])にあった旧・水戸国民勤労動員署[注 3](元・水戸市職業紹介所)として利用されていた1922年(大正11年)築の建物を転用した[3]。開館当初の蔵書数は3,500冊程度であったという記録があり、うち800余冊は市民からの寄贈書であった[3]。市立図書館設置のきっかけを作った水戸藩産業史研究会からは当初1万冊が寄贈されるはずだったが実際にはその一部にとどまり、残りは常磐神社彰考館へも寄贈されている[3]

1945年(昭和20年)4月15日、図書館2階にて70人が出席して正式な開館式が挙行され、翌4月16日より一般向けに閲覧・貸出業務を開始した[16]。しかし時は太平洋戦争末期で、日本各地の都市が空襲を受ける状態であったため、7月12日に閉館し、蔵書の疎開を始めた[17]。3か月弱の開館期間中に5,425人が来館し、閉館時点で4,867冊を所蔵していた[17]。図書の疎開先は東茨城郡沢山村(現・同郡城里町)と久慈郡大子町[注 4]で、どちらへも鉄道で疎開させたものとみられる[18]。ただし疎開できたのは1,500冊ほどにすぎず、蔵書の多くは8月2日水戸空襲で館舎もろとも焼失した[19]。1945年(昭和20年)の『水戸市事務報告書』では蔵書焼失の件について「遺憾ノ極ミナリ」と記している[17]。同じ水戸市内にあった茨城県立図書館も水戸空襲で蔵書と館舎を失っている[19]

水商での再開(1946-1973)

蔵書のほとんどと館舎を失った水戸市立図書館の再開は1945年(昭和20年)12月12日の水戸市会で決したが、資材不足で実際に着工することはできなかった[20]。そこで戦災を免れた茨城県立水戸商業学校(現・茨城県立水戸商業高等学校、以下「水商」と略記)の武道場を借用し[注 5]、1946年(昭和21年)1月に事務を再開、2月に疎開先から図書と書架を回収して5月1日に一般の利用を再開した[21]。水商の武道場(66坪≒218.2m2)はすでに茨城県立図書館が仮館として借用していたため、場内を二分する形で[注 6]利用した[20]。再開間もない5月26日にはGHQの指示により、軍国主義的ないし超国家主義的とされた図書575冊を焼却処分し、約1,500冊しかなかった焼け残り図書がさらに少なくなった[23]。軍から払い下げられた図書も蔵書に加わったものの、科学系や技術系の図書が中心で、一般向けの図書はあまりなかったようであり、水戸市は1,000円の図書購入費を補正予算に盛り込み、市民には図書の寄贈を求めた[24]。蔵書は少なかったものの、祝祭日のみ休館(日曜日は開館)と開館日数は多く、1人1冊1週間までの貸し出しを行っていた[24]1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)には秋季夜間開館と称して延長開館を実施した[25]。この頃の図書館の特徴的な利用者として受験勉強の高校生がおり、ここで勉強した82人が東京大学茨城大学などへ合格したという当時の新聞報道がある[26]

県立図書館との建物の共有、蔵書数の増加といった課題に直面していたため、水商出身の市会議員らの取り計らいもあり、水商同窓会記念会館[注 7]へ移転することが決まり、1954年(昭和29年)2月12日に水戸市は水商同窓会記念会館を150万円で専決処分により取得、4月26日に移転して5月1日より開館した[25]。新しい図書館は1934年(昭和9年)に完成した塔屋付きの和洋折衷木造モルタル2階建ての建物で、延床面積は222.3m2あり、1階を書庫と事務室、2階を閲覧室としていた[27]1955年(昭和30年)12月31日時点の蔵書数は図書12,907冊、雑誌3,001冊であった[28]

移転直後の図書館には学生を中心として多くの来館者が訪れたが、資料購入予算が十分に与えられなかったこともあり、利用者数・利用冊数ともに年々減少していった[29]。そこで1960年(昭和35年)より市内の婦人会役員宅に50冊程度の本を詰めた木箱を設置してもらい、1か月ごとに巡回する巡回文庫を始めたところ、すぐに本が貸し出されるという盛況ぶりであった[30]。また館内でも映画会、レコードコンサートの定期開催や夜間に社会教育団体へ建物を開放する取り組みを行った[31]。正確な年代は不明ながら、この頃貸し出し方式を記帳式からカード式に改めている[29]。しかし利用実績向上には結びつかず、貸出冊数は1960年(昭和35年)度の7,632冊に対し、1965年(昭和40年)度には2,878冊に落ち込み[注 8]、館内閲覧者数も1960年(昭和35年)度の19,688人から、1965年(昭和40年)度は3,119人[注 9]に減少している[34]。こうした中で、図書館は休館日を木曜日から日曜日に変更した[31]

水戸市立図書館は利用促進の次なる一手として、児童に着目した[31]。折しも『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)や『市民の図書館』が日本図書館協会から発刊されて市町村立図書館の重要性、貸出重視、児童サービス重視などが説かれ、水戸市でも1968年(昭和43年)より児童書の充実方針を掲げ、図書館近隣の小学校に利用を呼びかけるとともに翌1969年(昭和44年)からは「児童巡回文庫」も開始した[31]。この作戦は功を奏し、1967年(昭和42年)度時点では全体の3%に過ぎなかった小学生利用者が1970年(昭和45年)度には68%にまで上昇し、貸出冊数も1966年(昭和41年)度の3,250冊から1970年(昭和45年)度の17,053冊へと増加した[34]1972年(昭和47年)からは貸し出しを1人2冊10日間に増加・延長し、読書会などの団体向けに特別貸出文庫を設けるなど利便性を高める工夫を行った[31]

茨城CIE読書室/アメリカ文化センター(1947-1967)

水戸市立図書館とは別に、水戸市は茨城軍政部民間情報教育局読書室(CIE読書室)の運営も行った[24]。CIE読書室は、占領政策の一環として1947年(昭和22年)7月16日に茨城県商工会議所[注 10]2階に設置され、CIEから送られてくる『ライフ』などの雑誌や洋書を中心に市の費用で購入した図書も含めて所蔵し、年中無休で9時から17時まで開館していた[24]。他のCIE図書館とは異なり茨城CIE読書室にはアメリカ人職員はおらず、市職員2人が運営に当たった[24]

商工会議所の賃料が市にとって負担であったため、1947年(昭和22年)10月28日に水商の市立図書館へ移転し、11月24日には水戸市立三の丸小学校の土間を改造してそこに移転した[23]1949年(昭和24年)11月には三の丸小学校南東角に10坪(≒33.06m2)の図書室が建設され、文教地区にあることから学生を中心に1日100人超の来館者を集めた[35]1952年(昭和27年)5月にはGHQの廃止に伴い、東京アメリカ文化センター水戸分館に改称、拡張計画が持ち上がったこともあった中で実現しないまま1956年(昭和31年)4月1日に水戸市立図書館に統合されて消滅した[36]

しかし「アメリカ文化センター」という組織は存続し、市立図書館の一角にコーナーとして存置された[26]1958年(昭和33年)には「アメリカ読書室」に名称を改めたため、市立図書館の館頭には「水戸市立図書館」と「アメリカ読書室」の2つの看板が掛けられた[26]。アメリカ読書室の蔵書は次第に古くなり、1960年(昭和35年)頃には利用者も少なくなり、1967年(昭和42年)には実質活動を停止した[26]

末広町の旧銀行建物へ(1973-1980)

利用実績が上向き始めた矢先の1968年(昭和43年)2月、水商の校舎建て替えと運動場拡張計画が浮上し、水商とそのPTAは数年内に立ち退くよう市立図書館に要望した[31]。これに対して水戸市当局は、移転候補地を検討するも土地区画整理事業が進行中ということで適地が見つからず、市民の間でも「移動図書館を先に」、「県立図書館を間借りすれば」という建設消極派と「建物は老朽化し、暗くて狭いから」、「文教都市・水戸の名に恥じぬよう」という建設推進派に分かれ、議論は遅々として進まなかった[31]。こうした中、水商の校舎第2期工事が1972年(昭和47年)に着工するとともに、第29回国民体育大会(茨城国体、1974年)に向けて水商が各種競技の選手強化協力校に指定されたことから、水商側は1973年(昭和48年)3月までに立ち退くよう再三市議会に請願した[37]。また図書館周辺に居住する市民からは、同じ場所に図書館を残すか学区内での移転を求める陳情がなされた[38]

こうして市は1972年(昭和47年)末に水戸市土地開発公社が先行取得していた上水戸一丁目の東洋工業跡地へ新築移転し、建設中は仮館を設置するという方針を打ち出したが諸事情により実現せず、急場しのぎとして、ちょうど売りに出されていた末広町二丁目の関東銀行馬口労町支店を買収して図書館とする案が採用され、1973年(昭和48年)8月27日に移転した[38]

年表

  • 1944年(昭和19年)10月1日 - 水戸市立図書館設立[3]
  • 1945年(昭和20年)8月2日 - 水戸空襲で館舎・蔵書を焼失[19]
  • 1946年(昭和21年)1月 - 茨城県立水戸商業学校で事務を再開[21]
  • 1980年(昭和55年)7月1日 - 併設の水戸市立博物館とともに水戸市立中央図書館が開館。
  • 1989年(平成元年)4月26日 - 水戸市立東部図書館が開館。
  • 1992年(平成4年)4月23日 - 水戸市立西部図書館が開館。
  • 2006年(平成18年)4月24日 - 水戸市立見和図書館が開館。
  • 2008年(平成20年)4月20日 - 水戸市立常澄図書館が開館。
  • 2010年(平成22年)4月16日 - 水戸市立内原図書館が開館。
  • 2016年(平成28年)4月1日 - 東部・西部・見和・常澄図書館に指定管理者制度を導入[39]。4館とも図書館流通センターが指定管理者となる[1]

市民センター図書室

市民センター図書室は、当初「公民館図書室」として開始された。後に公民館と市民センターは併設となったが、水戸市は条例上公民館を廃止し、市民センターに一本化した。市民センターに一本化した後は、「公民館図書室」を「市民センター図書室」とした。

  • 竹隈市民センター
  • 渡里市民センター
  • 上中妻市民センター
  • 桜川市民センター
  • 緑岡市民センター
  • 双葉台市民センター
  • 常盤市民センター
  • 寿市民センター
  • 石川市民センター
  • 上大野市民センター
  • 飯富市民センター
  • 城東市民センター
  • 新荘市民センター
  • 千波市民センター
  • 柳河市民センター
  • 笠原市民センター
  • 酒門市民センター
  • 見川市民センター
  • 国田市民センター
  • 赤塚市民センター
  • 吉沢市民センター
  • 堀原市民センター
  • 山根市民センター
  • 大場市民センター
  • 稲荷第二市民センター
  • 下大野市民センター

脚注

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注釈

  1. ^ 図書館要覧では従来、正式な開館日を11月19日と記載してきたが、根拠となる当時の記録は残っていない[3]。また10月17日神嘗祭に合わせて開館する予定である、と報じた当時の新聞記事があるものの、同日前後に開館したとの実際の報道はない[3]
  2. ^ 水戸市職業紹介所が設置される前の1918年(大正7年)までは水戸市役所があった地であり、さらにさかのぼると徳川光圀の生誕地である[15]
  3. ^ 後の時代に公共職業安定所と呼ばれるようになる国家機関である[15]
  4. ^ この2町村が疎開先となったのは図書館員の知人や家族が住んでいたためという噂があるが、確証はない[18]
  5. ^ 武道場が借用できたのは、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって柔道剣道の授業が禁止され、用途がなくなっていたからである[20]
  6. ^ 玄関から向かって右側に茨城県立図書館、左側に水戸市立図書館の書架が並び、中央に両館共通の閲覧室が設けられた[22]
  7. ^ 名称通り、水商の同窓会が校内に建てたものであったが、戦中は水戸連隊区司令部が置かれ、戦後は水戸保健所が1948年(昭和23年)7月まで借用していた[26]。その後、水商に戻り、主に美術部が利用していた[26]
  8. ^ 当時の貸し出しは1人1冊であったため、貸出者数もまったく同じ数値になっている[32]
  9. ^ 入館者数は15,275人であった[33]
  10. ^ 現・常陽藝文センター所在地にあった[24]

出典

  1. ^ a b 水戸市の指定管理者制度の導入状況(平成28年8月1日現在)”. 水戸市行政改革課 (2016年8月1日). 2018年1月29日閲覧。
  2. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 12.
  3. ^ a b c d e f g h 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 9.
  4. ^ a b 茨城県図書館協会 編 2017, p. 14.
  5. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 20.
  6. ^ a b 茨城県図書館協会 編 2017, p. 24.
  7. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 18.
  8. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 4.
  9. ^ 水戸市立図書館条例(昭和55年3月28日水戸市条例第20号)第2条
  10. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 8, 12, 20.
  11. ^ 沿革”. 茨城県立図書館. 2018年1月29日閲覧。
  12. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 7-8.
  13. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 7.
  14. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 8.
  15. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 8-9.
  16. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 9-10.
  17. ^ a b c 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 10.
  18. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 10-11.
  19. ^ a b c 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 10, 134.
  20. ^ a b c 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 11.
  21. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 11, 135.
  22. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 56-57.
  23. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 12, 135.
  24. ^ a b c d e f 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 12.
  25. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 13, 136.
  26. ^ a b c d e f 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 13.
  27. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 13-14.
  28. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 96.
  29. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 14.
  30. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 14-15.
  31. ^ a b c d e f g 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 15.
  32. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 12, 15, 86.
  33. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 86.
  34. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 15, 86.
  35. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 12, 136.
  36. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 13, 136-137.
  37. ^ 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, pp. 15-16.
  38. ^ a b 水戸市立図書館50年誌編集委員会 編 1995, p. 16.
  39. ^ 茨城県図書館協会 編 2017, p. 2.

参考文献

  • 『平成29年度 茨城の図書館』茨城県図書館協会 編、茨城県図書館協会、2017年8月31日、69頁。全国書誌番号:00088362
  • 『水戸市立図書館50年誌』水戸市立図書館50年誌編集委員会 編、水戸市立中央図書館、1995年3月31日、148頁。全国書誌番号:95073652

関連項目

外部リンク