檜山丸 (初代)

檜山丸(ひやままる、Hiyama Maru)は、国鉄青函航路貨車航送船洞爺丸台風で失われたの貨車航送船の代替船として建造された檜山丸型の第1船である。

青函航路で最初のディーゼル機関船である。同型船には空知丸がある。

この記事では檜山丸、空知丸について記述する。なお、ここでの檜山丸、空知丸は初代である。2代目は渡島丸を参照。

檜山丸(空知丸)
MS HIYAMA MARU 1.jpg
概歴
建造 1955年9月1日(1955年9月5日
運航終了 1976年7月5日(1976年2月27日
要目
船種 貨車航送船
総トン数 3,393.1t(3,428.3t)
全長 119.5m
全幅 17.4m
機関 ディーゼル機関
出力 6,187hp(6,454hp)
速力 17.1kt(17.4kt)
乗客定員
貨物積載量 貨車 43両
※注 ()内は空知丸

概要

洞爺丸事故により、洞爺丸北見丸日高丸十勝丸第十一青函丸の5隻が沈没する。このうちの3隻(洞爺丸・北見丸・第十一青函丸)は損傷が激しく修復不能であった。そのため急遽、貨車航送船2隻と車載客船1隻の建造が決定する。檜山丸と空知丸は北見丸・第十一青函丸の代替船として建造された貨車航送船である。

檜山丸型は洞爺丸事故を教訓として設計された。船尾の貨車積込開口部からの海水浸入対策として、当初、檜山丸には船尾開口部全幅を一気にカバーし、中央部がヒンジで折れる鋼製の巨大な船尾扉を設置する予定であったが、その後の模型実験の結果、車両甲板への排水口設置で安全性が確保できることになり、船尾扉は設置されず、車両甲板船尾両舷17mにわたり、浸入した水を素早く排出する為の開口部(縦80cm横55cm)が片舷あたり20箇所づつ設けられた。

一方、空知丸では船尾の3線を1線ずつカバーする鋼製上下式の風雨密の船尾扉が当初計画通り設置された。[1]

また、車両甲板下に船底部は細かい区画に区切られ、隣接する2区画が浸水しても沈まない構造とされた。舵を2枚にして操船性能の向上が行われた。

主機関は従来の蒸気タービンと比較して浸水に強い、ディーゼル機関が採用される。青函航路では初のディーゼル機関であり、以降の新造の青函連絡船は全てディーゼル機関である。

外観上の特徴として、船橋は従来の石狩丸型や青函丸型貨車航送船とは異なり洞爺丸型車載客船に近い構造となっている。また、主機関が蒸気タービンからディーゼル機関になったことにより、煙突が従来の4本から1本になり、煙突も大型化されている。

甲板には軌道が4線敷設され、ワム車換算で43両の搭載が可能である。

沿革

檜山丸は1955年(昭和30年)3月22日、新三菱重工業神戸造船所で起工し、同年9月1日に竣工。同年9月16日に青函航路に就航する。同型船の空知丸は1955年(昭和30年)3月28日、浦賀船渠で起工し、同年9月5日に竣工。同年9月18日に青函航路に就航する。

1966年(昭和41年)に東北本線奥羽本線が災害で不通になったさい、8月18日より空知丸が川崎 - 函館間を緊急物資輸送を行う。また檜山丸も青森 - 函館間を臨時のカーフェリーとして民間のトラックを輸送する(8月22日)。

1967年(昭和42年)9月27日、室蘭本線豊浦駅 - 洞爺駅間が岩石崩落事故のため不通になったさい、翌日から檜山丸・空知丸で青森 - 室蘭間で緊急貨物輸送を開始する。当初は室蘭に可動橋が無かったため、民間の埠頭(日本通運)からの貨物バラ積輸送であったが、10月12日に室蘭に仮設可動橋を設置、貨車航送を行う(10月20日まで)。

空知丸は1976年(昭和51年)2月27日に、檜山丸は同年7月5日に運航を終了。後に売却され解体された。

脚注

  1. ^ 古川達郎 連絡船ドックP63~66 1966 船舶技術協会