奥澤神社

奥澤神社
Torii with a straw snake in Okusawa Shrine.jpg
所在地 東京都世田谷区奥沢五丁目22番1号
位置 北緯35度36分19.42秒
東経139度40分16.51秒
座標: 北緯35度36分19.42秒 東経139度40分16.51秒
主祭神 誉田別命応神天皇)、倉稲魂之命[1]
社格村社[2]
創建 室町時代[1]
例祭 9月第2土曜日と第2日曜日[3]
主な神事 奥澤神社の大蛇お練り神事(世田谷区指定無形民俗文化財)[4][5]
地図
奥澤神社の位置(東京都区部内)
奥澤神社
奥澤神社
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奥澤神社(おくさわじんじゃ)は、東京都世田谷区奥沢にある神社。かつてこの地を領していた吉良氏の家臣、大平氏が室町時代に奥沢城を築城するにあたって世田谷郷東部の守護神として勧請したものと伝えられる[1][6]。古くは八幡神社と称し、明治期に近隣の神社を合祀した際に奥澤神社と改称した[6][7]江戸時代中期から続く大蛇お練り神事は、世田谷区指定無形民俗文化財となっている[4][5]

歴史

奥澤神社の発祥は、室町時代までさかのぼる[1]。奥沢地区近辺は、南北朝時代貞和年間(1345年-1349年)頃に吉良氏の領地となった[注釈 1][8]。奥澤神社は室町時代に入って吉良氏家臣の大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護神として八幡神を勧請したものと伝えられる[1][6]。当初は八幡神社と呼称され、吉良氏が各地に建立した「世田谷七沢(しちざわ)八八幡(はちはちまん)」の1つに数えられていた[注釈 2][1][6][9][10][11]

天正18年(1590年)、後北条氏の滅亡とともに吉良氏の勢力も衰え、奥沢近辺は徳川氏の直轄領とされて荏原郡世田谷領奥沢村となった[8]寛文2年(1662年)、村の西方が開墾された後に寛文9年(1669年)に検地を受けて「奥沢新田村」(現在の奥沢四丁目から八丁目の付近)が成立し、従来からの奥沢村(現在の奥沢一丁目から三丁目、及び四丁目の東側付近)は「奥沢本村」と呼ばれるようになった[8][12][13][14]。八幡神社は奥沢新田村の鎮守となった[7]文化文政期(化政文化の時期)に編纂された『新編武蔵風土記稿』巻之五十 荏原郡之十二では「村ノ東ノ方ニアリ。本社三間半ニ一間、拝殿二間ニ三間、前ニ鳥居ヲ建ツ。(中略)祭礼九月十五日、村民ウチヨリテ神楽ヲ奏ス。下沼部村密蔵院持(後略)」とあり、下沼部村(現在の大田区田園調布付近)の密蔵院(真言宗智山派、大田区田園調布南24-18に現存)が別当寺を務めていた[1][13]

明治時代に入ると、奥沢一帯は品川県に属することになった[15]。続いて明治4年(1871年)には廃藩置県大区小区制によって「東京府第7大区第6小区」となった[15]。1875年(明治8年)3月の『神社明細簿』という資料によると、祭神は応神天皇で「創建年月不詳旧社号八幡大菩薩ト相称候」とあり、前年4月に村社に定められている[2][16][17]

奥沢本村と奥沢新田村の両村は、1878年(明治11年)の小区制廃止とともに合併して奥沢村となった[注釈 3][15]。奥沢村は1889年(明治22年)に尾山村、等々力村、上野毛村、下野毛村、野良田村、瀬田村、用賀村が合併して新たに発足した玉川村の一部となった[15]。1909年(明治42年)10月には、旧奥沢本村の子安稲荷神社が合祀されることになり、それを機に「奥澤神社」と名を改めた[6][7][17]昭和期に入る前後に一時神職不在の時期があり、目黒区碑文谷氷川神社から神主が来ていたという[18]

『新編武蔵風土記稿』巻之五十で言及されていた本殿は、1912年(明治45年)に九品仏浄真寺に移築の上改修されて観音堂となった[18]。1913年(大正2年)に建立された本殿も、同じく九品仏浄真寺に移築されて五社として祀られた[18]。2回にわたる本殿の移築の経緯は不明とされるが、1985年(昭和60年)の『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』では当時の禰宜の話として「単に置き場所に困っただけではないか」という説を載せている[18]。なお、九品仏浄真寺との特別の関係はないという[18]。その後、1970年(昭和45年)に本殿が再建された[18]

奥澤神社は、世田谷区立八幡小学校の発祥地である[2][19][20]慶応の末に、この神社の社寮に下沼部村向河原の人(名は不明)が土地の子弟を集めて、読み書きなどを教えた[19][20][21]。その後に小林大次郎という名の浪人がその仕事を引き継いだ[19][20]。さらに東京府士族の松沢弘義が寺子屋を始め、さらに茨城県人の池田孝一郎が「池田学校」と名を改めて授業を続けた[19][20]。1879年(明治12年)12月20日、戸長の毛利多喜蔵などが社寮の一部を改修して認可を得、神社名をとって「八幡小学校」と命名した[2][19][20]。開校当時の児童数は30名、校舎の広さは15坪(約49.6平方メートル)であった[19][20]。その後1884年(明治17年)の校舎増築を経て、1902年(明治35年)8月5日に現在地(世田谷区玉川田園調布2-17-15)に移転した[2]。これを記念して、1970年(昭和45年)11月29日に「八幡小学校発祥之地」記念碑が境内に建立された[2][18]

境内と文化財

本殿

奥澤神社の鳥居は、1939年(昭和14年)にそれまでの木造のものから石造に取り替えられた[注釈 4][18][21]。以前の鳥居は、厳島神社広島県廿日市市)の海中に建つ大鳥居と同じ「四脚鳥居」という形状であった[1][21]。鳥居には、前年の大蛇お練り神事で使用された藁製の大蛇が巻き付いている[18][21]

狛犬一対の近くには、「奥沢開発三百年記念碑」がある[18][22]。この記念碑は、1962年(昭和37年)10月に奥沢村開発300年を記念して神社の氏子有志が狛犬と石灯籠とともに献納したものである[22]。その他に境内には、「八幡小学校発祥之地」記念碑を始めとして、32貫(120キログラム)の重さのある力石道標(奥沢一丁目に現存する浄土宗大音寺そばから移築されたもの)、日清日露両戦役慰霊碑などが存在する[1][18]

境内には、地蔵尊や庚申塔なども祀られている[18]。1735年(享保20年)の「子育延命地蔵尊」は地蔵尊女講中の奉納による[18]。庚申塔には「享保3年(1718年)」の銘があり、「青面金剛講中」のものである[18]。「文政三年 下沼部村密蔵院現住廣照」と刻まれた「南無大師遍照金剛」の碑もあり、密蔵院が奥澤神社の別当寺であったことを裏づけている[18]

神社の境内社としては、弁才天社が祀られている[23]。この弁才天社は、かつて奥沢駅の南方100メートルほどのところにあった湧水池に鎮座していたものを1950年(昭和25年)に移したものである[23]。湧水池は「奥沢弁天池」の名で呼ばれ、池の主の白蛇が奥沢の田畑に水の恵みを与えていたと伝わる[23]。ただし池の跡地は商店街となってしまい、その名残はうかがえない[23]。1972年(昭和47年)には、弁才天社の築山を造園した[23]

歴史の節で既に触れたとおり、奥澤神社の旧本殿は2度にわたって九品仏浄真寺に移築された[18]。1970年(昭和45年)に再建された本殿は、良質の尾州産ヒノキ材を用い、室町時代の建築様式を再現している[3][18][21]

祭礼「奥澤神社の大蛇お練り神事」

本殿に安置されている大蛇

奥澤神社の祭礼について、『新編武蔵風土記稿』巻之五十には「祭礼九月十五日、村民ウチヨリテ神楽ヲ奏ス」との記述しか見当たらない[13][18]。一般には9月第2土曜日に行われる「奥沢神社の大蛇お練り神事」が知られている[3][18]

この神事については、次のような由来が伝えられている。江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が蔓延した。ある夜名主の夢枕に八幡神が現われた。八幡神は「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げた。名主は早速夢告に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、年に1度村内を巡行する祭が始められた[1][4][5][24]。巡行後の大蛇は、本殿に1年間安置された後に神職が修祓を行い、奥澤神社の鳥居に巻きつけられて飾られる[1][18][16]

大蛇お練り神事は、1939年(昭和14年)から1957年(昭和32年)の間、中断されていた[18][25]。中断に至った理由は、木造の鳥居から石造の鳥居に替えた際に「石の鳥居では大蛇の腹が冷えてしまうだろう」と気づかったためという[18]。その後1958年(昭和33年)になって、「神社は古いことを見直し、伝えるべきである」との当時の宮司の働きかけによって再興された[18]

大蛇の制作は、毎年9月の第1日曜日に氏子の有志が集まって宮司から修祓を受けた後に開始される [1][16]制作に使用する藁は、もち米のものを用いて2-3日前にハカマ(藁の下葉)を除いた上で小さく束ねておく[16]。宮司と約20人の氏子は、頭造りの組と胴体創りの組の2手に分かれて作業を行い、頭部約80センチメートル、胴体部の長さ約10メートル、直径約25センチメートル、総重量約150キログラムに及ぶ大蛇を作り上げる[16]

奥沢神社の例祭はかつて9月15日であったが、その後9月第2土曜日と第2日曜日となった[3][4][5]。第2土曜日に、大蛇お練り神事が執り行われている[3][26]。大蛇のお練り神事は1977年(昭和52年)のテレビ放映によって知名度が高まり、初詣や厄除けにも奥澤神社の氏子以外の人々が訪れることが増えたという[18][27]。この神事は、1993年(平成5年)に世田谷区指定無形民俗文化財(風俗慣習)に指定された[4][5][24]

交通アクセス

所在地
  • 東京都世田谷区奥沢五丁目22番1号
交通

脚注

注釈

  1. ^ 「貞和」は北朝方が使用した元号である。南朝方の元号では興国6年-正平5年にあたる。
  2. ^ 「世田谷七沢」については、諸説がある。現存の地名では野沢深沢、奥沢、北沢など、消滅した地名では池沢(池尻の一部)、吉沢(玉川の一部)、馬引沢(上馬下馬駒沢などの一部)、廻沢(千歳台付近)などといわれる。「八八幡」には、北沢八幡宮世田谷八幡宮、代田八幡宮などの名が挙げられている。
  3. ^ 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』(1985年)14頁には、「明治11年以前には既に合併していたとするものもある」との注釈を付している。
  4. ^ 鳥居改築の年について、1969年(昭和44年)発行の『せたがや社寺と史跡その二』及び1971年(昭和46年)発行の『史蹟散歩』では「昭和3年」と記述されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『せたがや社寺と史跡その二』、3頁。
  2. ^ a b c d e f 八幡小学校沿革史 (PDF) 世田谷区八幡小学校ウェブサイト、2014年2月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 奥澤神社 宗教法人東京都神社庁ウェブサイト、2014年2月8日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『改訂・せたがやの散歩道 一歩二歩散歩』、140頁。
  5. ^ a b c d e 『せたがやの文化財』、50頁。
  6. ^ a b c d e 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』、84-85頁。
  7. ^ a b c 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、91頁。
  8. ^ a b c 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、5頁。
  9. ^ 大谷、8頁。
  10. ^ 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』61頁。
  11. ^ 大成建設 (2005-05-19), “「タワークレーン」世田谷 七沢 八八幡”, 週刊新潮, オリジナルの2014-02-21時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20140221144146/http://www.taisei.co.jp/about_us/library/column/tower/2005/1168584052879.html 2014年2月8日閲覧。 
  12. ^ 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』65頁。
  13. ^ a b c 『史料に見る江戸時代の世田谷』、129-130頁。
  14. ^ 落ち着いた品の良さをイメージさせる街「奥沢」 ダイヤモンド・オンライン、2014年2月11日閲覧。
  15. ^ a b c d 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、13-16頁。
  16. ^ a b c d e 『ジャの道は蛇 -藁蛇の祭と信仰』、45-47頁。
  17. ^ a b 『世田谷区神社台帳』、138-148頁。
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、93-95頁。
  19. ^ a b c d e f 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』45-46頁。
  20. ^ a b c d e f 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』79-80頁。
  21. ^ a b c d e 『史蹟散歩』、94-95頁。
  22. ^ a b 『郷土史おくさわ』、21頁。
  23. ^ a b c d e 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、91-93頁。
  24. ^ a b 奥澤神社の大蛇お練り行事 世田谷区役所ウェブサイト、2014年2月16日閲覧。
  25. ^ 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』、1-3頁。
  26. ^ 厄除け大蛇がまちを練り歩く! 世田谷区役所ウェブサイト、2014年2月16日閲覧。
  27. ^ 『ふるさと世田谷を語る 尾山台、奥沢』、150頁。

参考文献

  • 大谷修二『奥沢物語』1994年。
  • 奥澤神社 『郷土史おくさわ』1982年。
  • 下山照夫編 『史料に見る江戸時代の世田谷』 岩田書院、1994年。  
  • 世田谷区教育委員会(世田谷区立郷土資料館) 『世田谷区神社台帳』1987年。
  • 世田谷区教育委員会 『せたがや社寺と史跡その二』1969年。
  • 世田谷区教育委員会 『せたがやの文化財』2009年。
  • 世田谷区区長室広報課 『改訂・せたがやの散歩道 一歩二歩散歩』1995年。
  • 世田谷区役所企画部広報課広報係 『史蹟散歩』1971年。
  • 世田谷区役所生活文化部文化・国際課 『ふるさと世田谷を語る 尾山台・奥沢』1990年。
  • 世田谷区民俗調査団編集、世田谷区教育委員会発行 『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』1985年。
  • 世田谷区立郷土資料館 『ジャの道は蛇 -藁蛇の祭と信仰』1995年。 

外部リンク