名岐鉄道デボ800形電車

名鉄モ800形電車
Meitetsu 810 nagoyakyuzyo.jpg
名鉄モ800形810(ナゴヤ球場前駅、1988年)
基本情報
製造所 日本車輌製造
主要諸元
軌間 1067
電気方式 直流 1500 V
最高運転速度 100
車両定員 120 人
(座席定員64人)
車両重量 38.0 t
最大寸法
(長・幅・高)
18,340 × 2,740 × 4,203 mm
主電動機 直巻電動機TDK528/15KM[1]
主電動機出力 112.5 kW / 個
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 19:61=1:3.21
編成出力 450kW
定格速度 全界磁64km/h、60%弱界磁78
制御装置 抵抗制御ES568
制動装置 AMM自動空気ブレーキ
備考 データはモ811(両運転台車・現役最晩年)のもの。
テンプレートを表示

名岐鉄道デボ800形電車(めいぎてつどうデボ800がたでんしゃ)は、名岐鉄道1935年昭和10年)に新製した特急形電車。同年8月には名岐鉄道(名岐)と愛知電気鉄道(愛電)の合併により名古屋鉄道(名鉄)が発足したため、同年4月に製造された本形式は名岐鉄道最後の新製車両となった[2]。合併後は形式称号は変わらず、車種記号のみ変更されモ800形と改称された。

本形式は18m級車体・150PS級主電動機(架線電圧1500V時)・電動カム軸式自動加速制御器・自動空気ブレーキなど、1950年代前半までに名鉄が新製した車両に共通する基本スペックを確立した車両である。本形式に始まるこれらの大型吊り掛け駆動車両は後に「AL車」と総称されることとなった。

なお、広義には本形式の他、同型のモ830形およびク2310形を含めて800系と総称することもあり[3]、本項ではモ830形・ク2310形についても併せて記述する。

概要

登場に至る経緯

名古屋電気鉄道より郊外線部門[4]を引き継いだ(旧)名古屋鉄道は、その後名古屋市岐阜市という2つの大都市を直結する都市間路線を形成することを目論み、会社買収や新規路線開業によって順次路線延長を行っていた。1930年(昭和5年)9月に社名を名岐鉄道と改称した同社は、1935年(昭和10年)4月29日の新一宮(現・名鉄一宮) - 笠松(現・西笠松)間の開通をもって押切町 - 新岐阜(現・名鉄岐阜)間を全通させ、会社設立当初からの悲願を達成した。同時に特急電車の運転が開始されたが、それに際して特急用車両として新製されたのが本形式である。

車両概要

デボ800形801 - 805(802 - 805は初代)として日本車輌製造で新製された本形式は、それまでの名岐の車両が名古屋市電柳橋までの併用軌道区間乗り入れを考慮して[5]小型車体・乗降ステップ付で製造されていたものを改め、名岐鉄道初の18m級大型車体[6]で登場した。車内はクロスシートを装備し、内装も特急用としての風格が備わった。正面形状は貫通構造の取り立てて特徴のないものであるが、緩いRを描いた雨樋と車体全幅に渡って設置されたアンチクライマーがアクセントとなっている。側窓は上段固定下段上昇式の二段窓とされ、その天地寸法は小さめで幕板寸法が広めに取られているが、決して鈍重には見えない車体外観は「名鉄タイプ」と呼ばれ、現在に至るまで受け継がれている。全車両運転台構造で運転台左右両側に乗務員扉を持ち、窓配置はd2D10D2d(乗務員扉:d, 客用扉:D)である。

電装品はイギリス・イングリッシュ・エレクトリック社の電装品を(旧)名古屋鉄道時代から多く採用してきた経緯から、そのライセンシーである東洋電機製造製の機器類が搭載された。定格出力90kWのTDK528/5F型主電動機[7]と、電動カム軸制御器ES509型[8]を装備しており、従来車に比べて格段の性能向上を成し遂げている。台車は釣り合い梁式の日車製D16型を装備し、これらの仕様は以降の車両にも踏襲されることとなった。制動装置はM三動弁を使用したAMM自動空気ブレーキである。

運用

戦前は主に名岐間特急・急行列車として使用された[9]本形式であるが、前述のように大型車体を持つ本形式は併用軌道区間への乗り入れが不可能であったため、本形式を使用する列車は押切町発着とし、柳橋を発着する列車(主に津島行き急行)と同駅で接続させる形を取っていた。その後旧名岐区間である西部線と旧愛電区間である東部線を直結する連絡線建設工事が進められ、1941年(昭和16年)には先行開業区間として東枇杷島 - 新名古屋(現・名鉄名古屋)間が開通したため、本形式も晴れて都心部へ直通運転されるようになった。

その後1944年(昭和19年)に連絡線建設工事が完成し、1948年(昭和23年)には西部線の架線電圧が1500Vに昇圧されて東西直通運転が開始されたことを受け、本形式も東部線区間へ入線するようになった。しかし同時に3800系が登場したため、特急運用の第一線からは後退する事となるが、晩年に至るまで本線系の優等運用をこなすことも少なくなかった。最晩年には、後年に再改造した両運転台(車体更新・編入)車のみが残ったため、他のAL車に増結されてローカル運用(小牧線・広見線など)に回る機会が多くなっていった。

なお、本形式は全在籍期間を通じて両運転台車が存在したため、単行運転や奇数両の編成を組むのに重宝がられ、特にそれが6両在籍した1980年代には両運転台車の重連運用も多数存在した[10]

その後の経緯

戦前から戦後にかけて

1935年8月の(新)名古屋鉄道発足に伴いモ800形[11]と改称された本形式は、翌1936年(昭和11年)3月に806 - 810(809・810は初代)が同一仕様で増備された。1937年(昭和12年)2月には850系新製に際して、モ802・803(いずれも初代)が電装品を同形式に供出して電装解除され、ク2250形2251・2252[11]と改称・改番されている。これに伴い、1938年(昭和13年)6月に空番を埋めるため以下のように改番が行われた。

改番対照
モ802(初代) → ク2251
モ803(初代) → ク2252
モ804(初代) → モ802(2代)
モ805(初代) → モ803(2代)
モ809(初代) → モ804(2代)
モ810(初代) → モ805(2代)

1937年(昭和12年)3月には本形式の制御車としてク2300形2301・2302[11]が新製された。電装の有無以外の設計はモ800形に準じているが、片運転台構造とされたことが異なり、窓配置はd2D10D3と変更された。さらに翌1938年(昭和13年)10月には付随車サ2310形2311 - 2315が増備された。ク2300形とは運転台の有無の他、ベンチレーターが他車のガーランド型2列配置から同型1列配置に改められた点が異なっている。ただし、同形式は将来的な先頭車への改造を見越して当初より運転室および乗務員扉、先頭部前照灯ステーが装備された状態で落成している。台車は2形式ともに日車製D15型を装備する。

その後、太平洋戦争激化に伴って輸送量が増加したことから、混雑緩和のため全車ロングシート化されている。また、輸送力増強のため電動車増備の必要性から、1942年(昭和17年)8月から12月にかけてク2250形・2300形全車が電装され、電動車化された。

改番対照
ク2251 → モ809(2代)
ク2252 → モ810(2代)
ク2301 → モ831
ク2302 → モ832

ク2250形についてはモ800形へ再編入される形となったが、ク2300形については片運転台車であることから新形式モ830形に区分された[12]。その他、サ2315は戦災により車体を焼損したが後に修繕により復旧されている。

戦後の経緯

1946年(昭和21年)12月にサ2310形は全車先頭車化改造を受け、ク2310形と改称された。1948年(昭和23年)には前述のように西部線の1500V昇圧が行われ、全車昇圧対応工事が施工されているが、本形式の電装品は元々1500V仕様であるため、比較的容易に対応が可能であったといわれる[13]。また同年、モ801は火災により車体を焼失し、原形通りの車体を新製して復旧された。

モ807・808は1952年(昭和25年)の一時期、850系の3連化に際して中間に組み込まれていたが[14]、短期間で同系が2連に戻されたため先頭車として復帰している。そして1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけて、モ801 - 808の8両について片運転台化改造が施工された。最初に施工されたモ802(2代)は運転台機器撤去のみ施工され、運転室および乗務員扉は存置されたため外観上の変化は少なかったが、他の7両については運転室を完全撤去して客室化し、窓配置もd2D10D3と改められて、モ830形との差異は事実上なくなった。また、モ802・モ831の2両については高運転台化改造が施工され、同改造を施工された他のAL車と同じく正面のウィンドウシル・ヘッダーが埋め込まれて、小型化された正面窓とともに外観に変化が生じている。

その後1961年(昭和36年)から「重整備」と称する修繕工事が開始され、全車を対象に施工された。老朽化した各部の補修の他、主電動機の更新および制御器の換装が行われ、更新が施工された主電動機はTDK528/15KM[1]と型番が変更となり、制御器は東洋製ES568型を搭載するようになった。同時に固定連結面間の棒連結器化も施工されている。

以下に1960年代半ば頃の本系列の編成を記す。

モ800形・ク2310形
モ801 - ク2311
モ802 - ク2312
モ803 - ク2313
モ804 - ク2314
モ805 - ク2315
モ806 - ク2653
モ807 - ク2654
モ808 - ク2655
モ809 - モ810
モ830形
モ831 - ク2181
モ832 - ク2182

モ801 - 805はク2311 - 2315と末尾番号が揃った2連を組み、モ806 - 808はク2650形と、モ830形はク2180形とそれぞれ編成を組んでいた。なお、両運転台車のまま存置されたモ809・810についてはこの2両で全電動車の2連に編成され、モ809の新岐阜寄り正面およびモ810の豊橋寄り正面に幌枠・貫通幌を設置して通常時は貫通編成を組んでおり、検査入場や事故被災等で電動車が不足した際には編成を解除して代役に充当するといった機動的な使用法がなされていた。

なお、モ830形については1965年(昭和40年)に850系の中間車として転用された[14][15]。その後1969年(昭和44年)に同系が再度2連に戻されたためモ830形は先頭車に復帰し、以降はク2500形と編成を組んでいた。

モ830形(1969年以降)
モ831 - ク2501
モ832 - ク2502

淘汰開始および各種改造・モ3500形編入車の登場

1969年(昭和44年)6月にク2315が福井鉄道に貸渡されたのを皮切りに[16]、同年10月にモ803がサイリスタチョッパ制御の試験車として使用のため東芝府中工場へ譲渡され、1971年8月には編成替えにより余剰となったモ806・807が廃車となってその主要機器を7300系新製に際して提供するなど[17]、順次淘汰が進められた。

しかし、1973年(昭和48年)に起きたオイルショックの影響で車両代替計画に大幅な狂いが生じ、その他の車両については今しばらく延命されることとなった。その後、残存した車両を対象に1974年(昭和49年)から1976年(昭和51年)にかけて以下の改造が施工された。

  • 前照灯のシールドビーム2灯化
  • 正面窓サッシのアルミサッシ化[18]、ワイパーの自動化
  • 正面貫通扉の鋼製化
  • 室内灯の蛍光灯[19]、室内扇風機の新設[20]
  • 戸袋窓のHゴム固定化
  • 客用扉の鋼製化
  • 客用扉部ステップ撤去

ただし、これらは統一した内容で施工されたものではないため、改造後の本系列は細部の形態が1両ごとに全て異なるという状態となっていた[21]。同時期にモ809・810については編成を解除されて正面幌枠・貫通幌を撤去され、以降増結用車両として使用されるようになった。また、前述モ803・ク2315の廃車に伴い、編成相手を失ったモ805・ク2313が新たに編成を組むこととなり、末尾同番号同士の編成が基本であったモ800形・ク2310形の組み合わせに初めて例外が生じることとなった。

なお、名鉄では1960年代以降に従来車のうちロングシート車を対象にセミクロスシート化を順次施工していたが、本系列についてはその対象から外れてクロスシートが復活することはなく、内装についても最後まで木製ニス塗りのまま手が加えられることはなかった。そのため本系列は長らくロングシート車塗装であるダークグリーン一色に塗装されていたが、名鉄車両の統一標準塗装がスカーレットと定められたため、本系列も順次塗装変更が実施された[22]

その他、モ809・810は1975年(昭和50年)4月より名鉄式自動解結装置[23]の現車試験に供されることとなった。モ809の新岐阜寄り正面およびモ810の豊橋寄り正面に電気連結器を搭載するとともに連結器を密着自動連結器化し、専用の胴受が新設された。これに伴い、アンチクライマーの一部が改造されている。試験終了後に電連が撤去された後も密着自連と胴受はそのままとされ、前述アンチクライマー部の改造部分とともにこれら2両のみの特徴となっていた。

モ3500形から編入されたモ812。側面窓が1段上昇式(ナゴヤ球場前駅、1988年)

その後、1981年(昭和56年)には3880系の一部廃車に伴う3両編成運用補充のため、モ3500形3両が両運転台化を施工し本形式に編入された。また、片運転台車ながら運転室を存置していたモ802についても再度両運転台化され[24]、モ811と改番されている。この結果、モ809以降の車両が全て両運転台車で揃うこととなった[25]。なお、モ3500形編入車3両のみは本系列中唯一転換クロスシートを備えていた。

改番対照
モ802 → モ811
モ3502 → モ812
モ3503 → モ813
モ3505 → モ814

また、1980年(昭和55年)には本系列のD16型・D15型台車を7300系の台車新製により余剰となったD18型台車に交換する工事が施工されている。本系列から捻出されたD16型・D15型台車は3700系(2代)に転用されて、同形式が使用していた雑多な台車の淘汰に使用された。

終焉

こうして幾多の変遷を経て使用され続けた本系列であったが、1970年代後半ともなると全車車齢40年を超え、各部の老朽化が目立つようになったことから、1979年(昭和54年)11月のモ808・832を皮切りに淘汰が再開された。1980年(昭和55年)2月のモ831を最後にモ830形が全廃され、1988年(昭和63年)3月のク2311・2314を最後にク2310形が形式消滅し、同時にモ800形の片運転台車も全廃された。一方、モ809以降の両運転台車についてはその使い勝手の良さから年号が平成となった後も全車健在であったが、1989年(平成元年)7月にはモ809・810・813・814の4両が一挙に廃車となり、以降は動態保存的に残されたモ811・812のみの陣容となった。

これら2両は主に広見線など犬山地区の路線で使用され、3400系や7300系、3300系(2代)と併結して運用に就いていた。しかし相次ぐ新型車の増備に伴って、1996年(平成8年)4月7日に行われたさよなら運転[26]を最後に2両とも運用を離脱し、モ811は同月中に[27]、休車状態で残存したモ812も翌1997年(平成9年)5月にそれぞれ廃車となり、本系列は形式消滅した。

保存車

モ811が豊川市の日本車輌製造豊川製作所において静態保存されている。保存に際しては1960年代頃の外観に復元することとし、車体はダークグリーンに塗装され、高運転台化されていた運転台は両側とも低運転台に復元された[28]。車内は扇風機が撤去され、室内灯を白熱灯に復元している。なお、保存に際して車番表記が801と変更されているが、同車はデボ804(→モ802)が旧番であり、現役当時に801の車番を称した時期はない。

また、1983年(昭和58年)3月に廃車となったモ805-ク2313は、廃車直前に同編成が豊田線での試験計測運転に使用された縁を買われ、豊田市鞍ヶ池公園に2両編成を組んだ状態で静態保存されている。こちらは現役当時の姿で保存されており、塗装もスカーレット一色塗りである。

参考文献

脚注

  1. ^ a b 端子電圧750V時定格出力112.5kW/同定格回転数1250rpm
  2. ^ 1935年(昭和10年)4月に竣工したのは801 - 805の5両で、806 - 810の5両については名鉄発足後の1936年(昭和11年)3月に竣工している。従って本形式は名岐鉄道最後の新製車両であるとともに、現・名鉄発足後における最初の新製車両でもある。
  3. ^ 広義の800系には、本形式に準じた設計ながら正面形状を流線型とした850系(モ850形・ク2350形)を含むこともある。
  4. ^ 同区間を名古屋電気鉄道では郡部線と総称した。現在の犬山線津島線等に相当する。
  5. ^ 柳橋は(旧)名古屋鉄道当時からの都心側ターミナル駅であり、同駅を含む併用軌道区間が名古屋市電に譲渡された後も同駅へは名岐からの直通列車が運行されていた。
  6. ^ 車体外寸17500mm・最大長18330mm。車体外板間の幅2700mm。
  7. ^ 表記は600V時定格出力。750V換算では出力112.5kW, 定格回転数1188rpmとなり、製造年代を考慮すると異例ともいえる高回転型特性を持つ高性能主電動機であった。
  8. ^ 直列5段・並列4段・弱め界磁1段。抵抗制御は当時の標準的な段数であるが、弱め界磁を付加して高速運転に備えた。
  9. ^ 当時は特急・急行とも各1時間間隔で運行され、名岐間の所要時間は特急で34分、急行で40分であった。
  10. ^ 最大四重連や、三重連に3300系(2代)を連結した6連、AL車混成による7連運行が確認されている。
  11. ^ a b c 後年同一形式を称した車両が存在するため、形式および車番はいずれも初代に相当する。
  12. ^ 新番台が830番台とされたのは、820番台を付した車両の増備が計画されていたためとされている。
  13. ^ これに伴い主電動機定格出力は112.5kWに向上した。
  14. ^ a b 正面に幌枠及び貫通幌を新設され、貫通編成を組んでいた。また、モ830形については組み込み時期の関係で正面連結器の棒連結器化も施工されていたが、後年先頭車に復帰した際に自動連結器に戻されている。
  15. ^ 編成相手を失ったク2180形は翌1966年(昭和41年)に600V化改造を受けて揖斐線に転属した。
  16. ^ 1970年(昭和45年)に正式譲渡された。貸出に際しては600V降圧改造を施工し、台車交換の上福井鉄道に入線している。しかし同車は前述のように戦災復旧車であったことから状態が非常に悪く、入線後数年で休車となった後、1975年(昭和50年)11月に廃車解体された。
  17. ^ モ806の主要機器は直接7300系へ転用されたが、台車については同車のD16型台車をク2800形へ転用し、捻出したD18型台車を7300系に転用する玉突き振替えが行われた。なお、モ807については台車・主要機器ともに一部が同系へ流用されたものの名義上の種車とはなっておらず、7300系の名義上の種車内訳はモ800形1両・3800系29両となっている。
  18. ^ 高運転台化改造車の正面窓はパテによる固定方式とされていたため、本工事の対象外とされた。
  19. ^ それまでのグローブ付き白熱灯1箇所につき40W蛍光灯2本1組×6に変更。3800系までのAL車に共通する方法である。
  20. ^ モ3500形からの編入車を始めとして一部には3880系の廃車発生品が流用された。
  21. ^ 一例を挙げると、ク2311は客用扉に木製のものと鋼製のものが混在しており、モ804は正面雨樋が一直線化されていた。その他、ク2311・2314は廃車まで客用扉部ステップを存置していた。
  22. ^ ただしモ832等、検査期限の関係でダークグリーン塗装のまま廃車となった車両も存在する。
  23. ^ 後にM式自動解結装置と正式に命名された。
  24. ^ 同車の豊橋寄り運転台は高運転台化されていたことから、復活した岐阜寄り運転台についても高運転台化改造が施工された。
  25. ^ これら両運転台化改造車は車番が在来車の続番とされたため話題となり、鉄道ジャーナル1981年12月号内記事「LOCAL NEWS」欄で「モ800形を増備?」として取り上げられた。
  26. ^ オリジナルのモ800形であるモ811を使用し、3400系を併結して3両編成で行われた。
  27. ^ 廃車時の車齢61年0ヶ月は当時の名鉄の鉄道線における最長在籍記録となった。後に3400系モ3401・ク2401が車齢65年5ヶ月を記録し、最長在籍記録を更新している。
  28. ^ 同車は現役当時パンタグラフ側前面雨樋の一直線化改造が施工されており、保存に際して円弧形状に復元されたものの、原形よりも雨樋中央部が高くされた形状となっており、若干印象が異なる。なお、非パンタグラフ側の雨樋形状については現役当時より原形を保っていたため保存に際しても変化はなかった。

関連項目