佐原の町並み

佐原本町
佐原三菱館とボンネットバス

佐原の町並み(さわらのまちなみ) 千葉県香取市佐原の市街地にある歴史的な建造物が残る町並み。商家町の歴史的景観を残す町並みは重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

概要

佐原は、江戸時代利根川東遷事業により舟運が盛んになると小野川沿いなどが物資の集散地として栄え始めた。小野川には物資を陸に上げるための、「だし」と呼ばれる河岸施設が多く作られた。

明治以降もしばらく繁栄は続き、自動車交通が発達し始める昭和30年頃までにかけて、成田から鹿嶋にかけての広範囲な商圏を持つ町となっていた。

佐原の町並みは、佐原が最も栄えていた江戸時代末期から昭和時代前期に建てられた木造町家建築、造りの店舗建築、洋風建築などから構成されている。重要伝統的建造物群保存地区内の、市街地を東西に走る通称香取街道、南北に流れる小野川沿い、及び下新町通りなどにその町並みを見ることができる。

町並みの形成とその発展

小野川沿いの商業都市としての町並みは、遅くとも南北朝時代に作られたとされる[1]。はじめは小野川の東側が中心であったが、江戸時代に入る頃には西側まで範囲が拡大した。そしてこの時期から、東側を「本宿」、西側を「新宿」と呼ぶようになった。

利根川東遷事業が完了し、小野川が利根川と繋がると、東北地方などから物資が利根川を経由し江戸へ至るルートが確立されたため、佐原はその舟運の拠点となった。新宿では定期市(六斎市)が開かれにぎわった。さらに、醤油や酒の醸造業が盛んとなった。江戸中期には35軒もの造酒屋が存在し[2]、関東灘とも呼ばれた。佐原は香取街道のほか銚子方面、成田方面への街道も通じ、陸上交通の要衝でもあった。

江戸時代後期の1838年には、人口が5647人を数えた[3]。この江戸後期から明治時代にかけてが、佐原の最も栄えた時代である。その繁栄の様子は、1855年の「利根川図誌」にも取り上げられている。同書によると、小野川を利用する商人や旅人は両岸の狭いことをうらみ、往来する舟や人は昼夜止むことがなかったという。

また、他の地方から佐原に店を出す商人もあった。たとえば京都の2代目杉本新右衛門は、1786年、佐原に呉服屋「奈良屋」を出店し、佐原を代表する商店となった(佐原で成功した奈良屋はその後千葉にも支店を出した。現在の千葉三越である。また、佐倉にも出店している)。こういった経済的な繁栄は文化にも影響を与え、楫取魚彦伊能忠敬を輩出することとなった。

1898年、佐原に鉄道が開通すると、東京までの物資の輸送としての舟運は下火になるが、代わりに、周辺の鉄道が通じていない農村から米などの物資を佐原駅まで舟で運搬し、それを鉄道で他地域に運ぶというルートが確立したため、その後も繁栄は続いた。1920年の国勢調査では、佐原の人口は15299人で、これは千葉県内では千葉、銚子に次ぐ数字であった。

町並み保存

1933年、成田線が松岸まで延伸されると、鉄道における佐原の優位性は薄まった。その3年後には水郷大橋が開通し、佐原地区の交通にも変化が見られるようになり、舟運は衰退していった。

第二次大戦後になると、佐原の中心部も佐原駅周辺へと移動し、さらには佐原自体の商業都市としての地位も低下していった。これには、周辺自治体の発展や、交通の手段が自動車へと変化したことなどが大きく影響している。

そのため、小野川周辺の市街地には伝統的な建造物が残された。

町並みの保存に関しては、1974年に初の調査が行われた。しかし、この時は保存運動は活発ではなかった。当時の佐原は今までの繁栄していた雰囲気を残しており、保存より再開発を望む声も多かったのである。一部には、小野川を塞いで駐車場にしようという意見があったほどである[1]。護岸工事のため「だし」はほとんどが取り壊された。建造物も、特に小野川沿いは舟運に依存した店が多かったこともあり、廃業し現代的な建物の住宅地となった区域が多く見られた[4]。香取街道沿いでも、先述の奈良屋(建物は大正時代に改築された木造2階建て)が閉店後取り壊されている。

1982年にも財団法人観光資源保護財団により調査が行われたが、そこでは、「佐原の歴史的町並みは、正直にいって、すばらしいとはいいがたい。現代風に改装、新築した家も多く、町並みとしてはいわゆる"歯抜け"の状況が目立つ。」と、厳しい意見も出されている。また、この調査では地域住民にアンケートを取っているが、そこでは今後について、「道路を拡幅して近代的な商店街をかたちづくる(53%)」「伝統的な町並みを生かした商店街をつくる(29%)」「住宅地としての良好な環境の維持・形成に努める(25%)」と、再開発を望む声がいまだ多かった。ちなみに小野川に関しては、「きたないので暗きょにし、上は駐車場等に利用する」が35%、「きたないので浄化する」が60%という結果であった[5]

しかし、1988年のふるさと創生事業の使い道として、町並み保存の案が出されたあたりから、風向きが変わってきた。この時期はモータリゼーション化や、周辺自治体の発展(成田空港の開港、鹿島・神栖の工業地域の形成)の影響がさらに強まっており、佐原は地域における商業の中心地としての機能を失っていたため、新たな打開策を見出そうという意見が出てきたのである[6]

この流れにのって、1991年には「佐原の町並みを考える会」(現:NPO小野川と佐原の町並みを考える会、以下「考える会」)が発足した。考える会は町並み保存のための基本計画を作成し佐原市(当時)市長に提出。市でもこれを受け、1994年に「佐原市歴史的景観条例」を制定し、翌々年に保存地区を決定した。また「考える会」は説明活動を通して、町並み保存に関して地域住民の理解を求めた[7]

このような活動が実を結び、1996年、「考える会」の目標でもあった重要伝統的建造物群保存地区として選定された。関東では初の選定であった。保存地区選定後は国の補助も受け、建造物の保存のための修理が行われるようになった。

こうした取り組みの中、まちづくりに関しても新たな動きが活発になった。ボランティアによる小野川の清掃、行政による電線の地中化、忠敬橋歩道橋の撤去、「だし」の復元、「考える会」による観光案内の設置などが行われた。第三セクター「ぶれきめら」、地域の女性による「佐原おかみさん会」といった、新しい団体も設立され、前者は舟による町並みめぐり事業、後者は「佐原まちぐるみ博物館」の設置を行った。こうした観光客向け事業が盛んになる一方、町並みの修繕・保存に関しても、引き続き官民一体となった取り組み[8]が続けられている。

町並み保存に関する年表

  • 1974年 伝統的建造物群保存調査
  • 1975年 上の調査報告書「佐原の町並み―佐原市伝統的建造物群保存地区調査報告―」作成
  • 1982年 財団法人観光資源保護財団による調査
  • 1983年 前年の調査報告書「佐原の町並み よみがえれ、水郷の商都」作成
  • 1989年 三菱館、佐原市に寄贈
  • 1991年 「佐原の町並みを考える会」発足
  • 1992年 樋橋架け替え(コンクリート製から現在の木造に)
  • 1993年 「佐原市佐原地区町並み形成基本計画」作成(考える会)
  • 1994年 「佐原市歴史的景観条例」制定(佐原市)
  • 1994年 樋橋の落水を復活させる
  • 1995年 「まちづくり推進室」設置(佐原市)
  • 1996年 「佐原市佐原景観形成地区」決定(佐原市)
  • 1996年 「重要伝統的建造物群保存地区」として選定される
  • 1996年 樋橋の落水が「残したい日本の音風景100選」に選ばれる
  • 1998年 伊能忠敬記念館新装
  • 2005年 佐原町並み交流館開館
  • 2005年 「佐原まちぐるみ博物館」開始
  • 2009年 「平成百景」に佐原が選ばれる
  • 2010年 伊能忠敬関係資料2345点が、歴史資料として国宝に指定

建築物の特徴と保存方法

この地区の建造物の特徴としては、江戸時代(主に土蔵)から明治(正文堂など)、大正(三菱館など)、昭和まで、幅広い年代の建造物が混在していることが挙げられる。ただし1892年に大火が起こったため、現存する建物の大半はそれ以後に建築されたものである。また、その火事の影響から、防火設備を施したものも多い。

小野川沿いは「正上」に代表される、比較的大規模の店が多い。香取街道沿いは小型な2階建ての店が多い。

現在でも当時の商売を続けている店舗が多く、生きている町並みであるとも言えるが、一方で、廃業し、住宅地や廃屋となった店舗も見られる[9]。 近年はそういった空き店舗を活用して新たな商売を始めるところも現れてきている。

建築物の改築や修繕については、香取市佐原地区歴史的景観条例(合併前の「佐原市歴史的景観条例」に相当するもの)に則っている。この条例では町並みを「伝統的建造物保存地区」と「景観形成地区」に分けており、建物の改築等を行う際には、前者は許可が、後者は届出が必要になる。また、建物の修繕を行うにあたっては、助成率に応じた助成金が支給される[10]

2007年の時点で、伝統的建造物保存地区で90件、景観形成地区で35件の修理を行った[1]。先に述べたように、様々な年代の建築物が残されているため、修理にあたっては特定の時代設定は行わず、どの時代を再現した建築にするかは建物によって異なる。また、古色塗りを行わないのも特徴である。

主な建築物

三菱銀行佐原支店本館、大正3年建築時は川崎銀行佐原支店、設計・施工清水満之助商店、現清水建設
  • 正文堂書店店舗(千葉県指定文化財)
1880年建築。登り龍、下り龍を配した看板が特徴。現在は書店としての営業は停止している。
  • 小堀屋本店店舗(千葉県指定文化財)
創業1782年の蕎麦屋。現在の建物は1892年建築。旧千葉銀行佐原支店の建物を利用した別館もある。
  • 福新呉服店(千葉県指定文化財)
創業1804年。現在の店舗は1895年の建築。藍染製品などを販売。
  • 中村屋乾物店(千葉県指定文化財)
1892年建築。当時の最高技術の防火構造を使用した土蔵造りの建物。木彫りの看板がはめ込まれているのが特徴。
  • 正上醤油店(千葉県指定文化財)
創業1800年。創業時は油屋を営んでいたが、1832年に醤油の製造を始める。現在は佃煮の販売を主に行っている。現在の建物は1832年の建築。
  • 旧油惣商店(千葉県指定文化財)
1798年に作られた土蔵があり、土蔵としては佐原で最古のものである。
  • 中村屋商店(千葉県指定文化財)
1855年建築。雑貨等の販売。小野川沿いの道と香取街道の交わる点にあるため、五角形の柱を使用するなど、間取りに工夫が見られる。
  • 与倉屋
醤油作りに使用していた倉が現存している。現在は倉庫業を営んでいる。

ギャラリー

交通

  • 鉄道
  • 高速バス
    • 千葉交通浜松町-東京駅⇔(佐原経由)-銚子・東芝町間高速バス、佐原駅北口下車徒歩10分
    • 関鉄グリーンバス東京駅⇔(佐原・潮来・麻生経由)-鉾田駅間高速バス、忠敬橋下車徒歩0分

関連項目

脚注

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  1. ^ a b c 香取市都市計画課(2008)
  2. ^ 島田(1998)p63
  3. ^ 島田(1998)p42
  4. ^ 小堀(1999)
  5. ^ 小野川駐車場案の背景には、小野川の水質悪化のほかに、路上駐車の問題もあった。当時の小野川沿いの道は「格好の駐車場となっており、車が停められるとあとは通過する車のための余地がようやく残されるだけ」(1983年の調査報告より)という状態だったのである。現在は駐車禁止となっている。
  6. ^ 白井他(2009年) p96
  7. ^ 白井他(2009年) p96
  8. ^ http://www.toshisaisei.go.jp/05suisin/kantoh/04suisin/zenkoku/01_giji.html
  9. ^ 小堀(1999)p29
  10. ^ 上北、斎藤(2005年)

参考文献

  • 川越市教育委員会ほか編『関東地方の町並み』東洋書林、2004年、ISBN 978-4887216532
1975年および1983年作成の調査報告書が収録されている
  • 島田七夫 『佐原の歴史散歩』たけしま出版、1998年、ISBN 978-4925111041
  • 小堀貴亮 「佐原における歴史的町並みの形成と保存の現状」『歴史地理学』41巻4号(通号195)、1999年
  • 上北 恭史、斎藤 英俊「伝統的建造物群保存地区における修景方法の考察--佐原市佐原景観形成地区におけるケーススタディ」『芸術研究報』2005年、pp.139-158
  • 香取市都市計画課 「香取市佐原伝統的建造物群保存地区」『地図情報』27巻4号(通号104)、2008年
  • 白井清兼他「旧佐原市地区におけるまちづくり型観光政策の形成プロセスとその成立要因に関する分析」『社会技術研究論文集』2009年、Vol.6,pp.93-106
  • 『週刊日本の町並み No.29佐原・潮来』学習研究社、2005年

外部リンク