佐久島

佐久島
Sakushima Island Aerial photograph.jpg
佐久島の空中写真(1982年撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
所在地 日本愛知県
所在海域 三河湾
所属諸島 愛知三島
座標 北緯34度43分45秒 東経137度2分30秒 / 北緯34.72917度 東経137.04167度 / 34.72917; 137.04167座標: 北緯34度43分45秒 東経137度2分30秒 / 北緯34.72917度 東経137.04167度 / 34.72917; 137.04167
面積 1.81[1] km²
海岸線長 11.8[1] km
最高標高 38.0[1] m
Project.svgプロジェクト 地形
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佐久島(さくしま)は、三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県西尾市に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる[2]。2010年(平成22年)の国勢調査における人口は271人134世帯であり、2013年(平成25年)4月1日時点の人口は262人である。古くは作島、析島とも[3]、佐古島、左近之島とも記した[4]日間賀島篠島と合わせて三河湾三島などと呼ばれる。

地理

三河湾の黒真珠と呼ばれる佐久島の町並み

西尾市一色町から南に約8kmの位置にあり、三河湾のほぼ中央に位置する。愛知県・三河湾の離島中最大の面積を持つ[5]。島内北部には標高30m台の緩やかな丘陵が連なり、ヤブツバキやサザンカなどが植えられている。海岸線延長は11.5km[6]、最高標高地点は38mであり[6]、島内に河川はない[7]。島の東と西に集落があり、かつては東集落を里、西集落を一色と呼んだが、一色町への編入後に現在の「東」「西」という呼称になった[7]。東集落は主に漁業を、西集落は主に農業を生業とし、戦前までは集落間の通婚は皆無に等しかったとされる[7]。町並みは東西ふたつの港を中心に扇状に広がり、大正時代から昭和時代にかけて建てられた民家が多い[5]。耕地と集落は南部の海岸沿いに密集している。東集落には筒井姓が、西集落には高橋・藤井姓が多い[5][8]。西港周辺には潮風から家を守るためにコールタールを塗った民家が多く、その町並みはギリシャ・ミコノス島の白壁の家々、イタリア・シエナの赤レンガの家々と対比させて「三河湾の黒真珠」と呼ばれている[5][9]。迷路のような路地ではたくさんの猫と出会うことができる[8]

西尾市役所支所、郵便局(無集配・特定局)、JA西三河支店、岡崎信用金庫出張所、西尾市佐久島診療所、西尾警察署佐久島駐在所などの施設がある。知多郡南知多町より水道供給されており、愛知用水からの海底送水管が知多半島の師崎から日間賀島経由で届いている。水道の使用開始・中止の届け出、料金支払いは南知多町水道課に行う。

歴史

古代から中世

第三紀中新世に海中で堆積した島とされ、2500万年前と推定される貝の化石が島の各所で発見されている[3]崇神天皇(第10代天皇)の時代に佐久彦命が移住して農業を始めたことが島名の由来とされている[8]。佐久島には紀元前3000年頃から人が住み始め、縄文・弥生式の土器片などが多く出土している[6]。「佐久島旧記」によれば、第10代崇神天皇(紀元前97年-紀元前30年)の時代に、斎宮(いつきのみや・さいぐう)の郷にいた佐久彦命が来住して農業を始めたことが島名の由来とされている[3]古墳時代後期の横穴式円墳は島内に38基が散在しており、島の両端と中央部の3ヶ所に多いこれらの古墳を総称して佐久島古墳群という[3][10]。1966年(昭和41年)に発掘が行なわれた山の神塚古墳の石室からは金環や緑玉などが出土した[5]藤原京時代(694年-710年)には文献に初めて佐久島の名前が登場[8]。藤原宮跡から出土した木簡(貢進物付札)には「佐久嶋」と、また奈良時代平城京跡から出土した木簡には「析嶋」の文字が見られるなど、島周辺の海産物を都に届けた記録も残っている。

中世から近世

中世には志摩国の属国であったとされるが[11]鎌倉時代には吉良氏の勢力下に入り、三河湾内の他の2島(日間賀島篠島)とは異なり三河方面との結びつきが深まった[6]。鎌倉時代初期の建久3年(1192年)には、鳥羽上皇第7皇子の青蓮院が開基とされる崇運寺が建立され[5]、崇運寺には徳川家康が滞在したという言い伝えがある[8]。伊勢・志摩と関東を結ぶ海上交通の要衝にあることから、江戸時代には各地を結ぶ海運で繁栄を築き[8]吉田(現在の豊橋市)と伊勢神宮の結節点としても栄えた。当初は相模国甘縄藩領だったが、元禄16年には上総国大多喜藩領となった[4]。「寛永高附」による村高は90石余、「元禄郷帳」では99石余、「天保郷帳」と「旧高旧領」では534石余であり[4]。1868年(明治元年)の石高は535石だった。

東部にある八劔神社は平安時代の万寿年間(1024年-1028年)の創立[12]、江戸時代初期の再建とされ、愛知県指定文化財となっている。東部にある阿弥陀寺は阿弥陀如来を本尊とする浄土宗西山深草派の寺院であり、観音堂は永正2年(1505年)の開山と伝えられている[13]。佐久島弁財天(筒島弁財天)は竹島(蒲郡市)や三明寺(豊川市)と合わせて三河三弁天のひとつであり、巳年(本開帳)と亥年(合開帳)のみに開帳される[8]

近代から現代

佐久島村
廃止日 1954年8月1日
廃止理由 編入合併
佐久島村一色町
現在の自治体 西尾市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
幡豆郡
総人口 1,551
(1950年国勢調査)
佐久島村役場
所在地 愛知県幡豆郡佐久島村
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明治時代には外国との貿易が盛んとなり、裕福な住民の東京・横浜・名古屋などへの移住が相次いだ[4]。1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により一島で幡豆郡佐久島村となった[5]

1952年(昭和27年)には佐久島村が運営する吉田航路の運航が開始され、1954年(昭和29年)8月1日、本土の幡豆郡一色町に編入されると[5]、所属する一色町との間にも航路が設けられた。1953年(昭和28年)の離島振興法制定時には指定されなかったが、1958年(昭和32年)の第7次指定において日間賀島と篠島も含めた「愛知三島」が離島振興対策実施地域に指定された[14][注 1]種田山頭火の俳句「島嶋人が乗り人が一人春爛漫」「波の上はゆき違う挨拶投げかけかわしつつ」は佐久島で詠まれたものであり、島内に句碑が立っている[5][注 2]。1958年4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている[14]

長年水不足に悩まされ、一色港から水槽船が運航されていたが、1973年、日間賀島や篠島と同様に愛知用水を水源とする海底水道が敷設された[15]。愛知用水の導入は海苔養殖を盛んにしたが[16]、逆に豊かさが仇となり本土側の一色町へ住居を構えて離島する住民が相次ぎ、人口の減少に繋がった。今でも周辺海域は豊かな水産資源に恵まれている。1989年(平成元年)に竣工した海上自衛隊はつしま型掃海艇に「さくしま」(MSC-671)の名前が付けられた。同艦は2004年(平成16年)11月29日に佐久島に寄港している。「さくしま」は2013年(平成25年)に除籍となった。2011年(平成23年)4月1日、一色町が西尾市と合併し、「幡豆郡一色町大字佐久島○○」という住所表記が「西尾市一色町佐久島○○」となった[17]。詳しくは幡豆町#西尾市との合併を参照。

行政区画の変遷

三河湾の有人島3島の行政区画の変遷
明治22年以前 明治22年 明治23年-明治45年 大正1年-大正15年 昭和1年-昭和64年 平成1年-現在
知多郡 日間賀島村 日間賀島村 日間賀島村 日間賀島村 昭和36年合併
南知多町
南知多町
篠島村 篠島村 篠島村 篠島村
幡豆郡 佐久島村 佐久島村 佐久島村 佐久島村 昭和29年合併
一色町
平成23年合併
西尾市

人口

明治時代から戦前までの人口は1,200-1,500人程度で推移し、1947年には過去最大の1,634人に達したが、その後は急速に減少[18][1]。1975年(昭和50年)から1980年(昭和55年)には日間賀島や篠島の人口が横ばいだったのに対して、佐久島は年平均3.2%の人口減少が見られた。

2005年(平成17年)の国勢調査による人口は139世帯315人であり、高齢化率は48.3%だった[18]。2010年(平成22年)の国勢調査における人口は271人134世帯で高齢化率は49.8%[1]、2013年(平成25年)4月1日時点の人口は262人と、人口減少には歯止めがかかっていない。産業別の就業者比率は、第1次産業が49.0%、第2次産業が5.5%、第3次産業が45.5%である[18]。人口密度は約170人であり、日間賀島や篠島の1/10程度である。

ファイル:M10.png世帯数 / G10.png人口
1888年(明治21年) ファイル:M50.pngM05.png
G100.pngG100.pngG50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.png
275世帯1,454人 角川日本地名大事典[4]
1908年(明治41年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngM05.pngM01.pngM01.pngM01.png
G100.pngG100.pngG50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.png
245世帯1,454人
1930年(昭和5年) ファイル:M50.pngM05.pngM01.png
G100.pngG100.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.png
280世帯1,204人 国勢調査
1950年(昭和25年) ファイル:M50.pngファイル:M10.pngM05.pngM01.pngM01.png
G100.pngG100.pngG100.pngG10.png
335世帯1,551人
1990年(平成2年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngM05.pngM01.pngM01.pngM01.png
G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png
194世帯493人
2010年(平成22年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngM05.pngM01.png
G50.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png
134世帯271人

気候

佐久島の気候は温暖であり、年平均気温は16度前後である[1]。結氷や降霜は少なく、降雪はほとんどみられないが、冬季には強い季節風が吹く[1]。1970年代の年平均降水量は1,310mmであり、愛知県の平均よりもやや少ない。その距離の近さにもかかわらず本土とは異なる植生を持ち、2000本のヤブツバキがトンネルのように続く丘陵のハイキングコース、3-4月に浜辺に咲いて春を告げるハマダイコンなどが特徴である[8]

佐久島の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 10.1
(50.2)
10.4
(50.7)
12.8
(55)
17.8
(64)
21.0
(69.8)
24.6
(76.3)
27.9
(82.2)
29.4
(84.9)
26.8
(80.2)
22.4
(72.3)
17.5
(63.5)
12.4
(54.3)
19.5
(67.1)
日平均気温 °C (°F) 7.0
(44.6)
7.2
(45)
9.6
(49.3)
14.7
(58.5)
18.7
(65.7)
22.6
(72.7)
26.0
(78.8)
27.4
(81.3)
24.4
(75.9)
19.6
(67.3)
14.4
(57.9)
9.1
(48.4)
16.8
(62.2)
平均最低気温 °C (°F) 4.3
(39.7)
4.4
(39.9)
6.6
(43.9)
12.3
(54.1)
16.6
(61.9)
21.1
(70)
24.7
(76.5)
25.9
(78.6)
22.4
(72.3)
17.1
(62.8)
11.5
(52.7)
6.3
(43.3)
14.5
(58.1)
降水量 mm (inch) 52
(2.05)
65
(2.56)
84
(3.31)
121
(4.76)
145
(5.71)
135
(5.31)
136
(5.35)
100
(3.94)
197
(7.76)
151
(5.94)
67
(2.64)
42
(1.65)
1,310
(51.57)
出典: 名古屋大学空電研究所資料

教育

佐久島小中学校

江戸時代後期から明治時代初期には崇運寺・妙海寺・阿弥陀寺で寺子屋が開かれており、1873年(明治6年)に佐久島学校が開校した[4]。1892年(明治25年)に佐久島尋常小学校が成立し、1899年(明治32年)に佐久島尋常高等小学校と名を変えた[4]。1926年(大正15年)には佐久島尋常小学校と改称。1947年(昭和22年)には佐久島村立佐久小学校と改称し、同年には佐久島村立佐久島中学校が新設された。1954年(昭和29年)には一色町立佐久島小学校/佐久島中学校となり、1981年(昭和56年)には小中学校の新校舎が完成した[4]。西尾市立佐久島小学校・佐久島中学校は東西の集落から等距離の島中央部にあり、2011年度の児童生徒数は小中学校合わせて24人、中学3年生を除いて複式学級である[19]。2003年(平成15年)からは「しおかぜ通学」制度を設け、本土から毎年数人の小中学生を佐久島小中学校に招き入れている[5]。2012年度は4人の児童生徒が本土から佐久島まで高速船で通学している[20]。2012年(平成24年)時点で佐久島小学校には11人、佐久島中学校には10人の児童生徒が在籍している[1]

三河湾内に浮かぶ有人離島の日間賀島には愛知県立内海高校日間賀島分校が、篠島には内海高校篠島分校がいずれも1980年(昭和55年)から設置されていたが[21]、佐久島には分校が設置されていた過去はない。日間賀島分校は2001年(平成13年)に、篠島分校は2004年(平成16年)に閉校し[21]、三河湾三島から高校はなくなった。愛知県は高校の学区制を敷いており、西尾市に属する佐久島から進学可能な高校は、本来ならば三河学区の高校に限られるが、愛知県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている[22]

交通

西尾市営渡船「はまかぜ」

島内の道路はすべて市町村道(西尾市道)であり、道路舗装率は62.8%と、愛知県平均(87.1%)を大きく下回っている[1]。島内の交通は原動機付自転車や軽自動車が中心であり[1]、信号はひとつもない[8]

海上交通

西尾市が西尾市営渡船を運営しており、高速船「はまかぜ」「第二さちかぜ」が使用されている。一色さかな広場東側にある「佐久島行船のりば」を起点とし、佐久島西港、佐久島東港の順に停まる[23]。一色から東港までの所要時間は約25分であり、渡船料金は大人800円(片道)である[23]。2013年度版の通常ダイヤは1日7往復であり、特別ダイヤ(ピーク期)は8往復である[23]。佐久島行船のりばからは名鉄バス名鉄西尾線西尾駅まで、ふれんどバスが名鉄西尾線・蒲郡線吉良吉田駅まで路線バスを運行している。西尾市営高速船のほかに、民間の海上タクシーを使って渡航することもできる。同じ三河湾にある日間賀島篠島との間には定期航路が存在しないが[1]海上タクシーなどで行き来することができる。

1952年(昭和27年)に佐久島村営の渡船が吉田町(現・西尾市)と結ぶ航路を開設し、1954年(昭和29年)の一色町への編入合併後も運航を続けられていた。しかし、吉田港が浅いために欠航が多く、また利用者数が低迷したことから、1983年(昭和58年)9月30日をもって休止し、1984年(昭和59年)10月1日に廃止された。1954年(昭和29年)の一色町との合併を機に一色町との間の航路の運航が開始され、1984年には一色航路に高速船が就航した。

名鉄三河線が2004年(平成16年)に一部廃止されるまでは三河一色駅が最寄駅であり、一色渡船場から鉄道駅まで徒歩圏内だった。また、2010年(平成22年)4月までは一色町の市街地に近い「一色渡船場」を発着地としていたが、南1.5kmの「佐久島行船のりば」移転した[18][24]。一色渡船場は干潮の際に発着場が異なり(500m南側の「一色臨時渡船場」)[25]、また駐車場がなく堤防道路沿いにとめないといけないなどの不便があった[18]

経済

佐久島の主要な産業は漁業と観光業である[8]。大アサリ(ウチムラサキ)が特産品であり、2月から5・6月には浜辺などでアサリ漁が行なわれる[26][8]。昭和30年代には温州ミカンを島外に出荷していたが、定着することはなかった[1]。現在でも小規模な畑があるが、その多くは島内で消費される自給用の野菜畑であり[8]、農業経営体は存在しない。2012年(平成24年)には耕作放棄地を利用した宿泊滞在型農業体験施設(クラインガルテン)が開園した[1]

1958年(昭和33年)4月には一帯が三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている[14]。1996年(平成8年)に約49,000人だった観光客数は微減が続いていたが、2004年(平成16年)の約36,000人を底に回復し、2007年(平成19年)には約41,000人、2010年(平成22年)には約69,000人、2012年度には約75,000人と右肩上がりの成長を続けている[18][9]

文化

おひるねハウス

毎年1月8日には、250年の歴史があると言う八日講が東部の八劔神社で行なわれる[8]。「鬼」の字が書かれた大凧に向かって厄男が弓矢を射り、島民は災難除けとなる凧の骨を奪い合う。8月15日には西部の崇運寺で400年の伝統を持つ盆踊りが行なわれ、盆踊り後には東西の港から、茅(ちがや)で作った船に蝋燭を灯して先祖を送る精霊流しが行なわれる[8]。明治初頭からは八十八ヶ所の弘法巡りが行なわれており、島内の至る所に80基ほどの祠が存在する[8]。2009年(平成21年)にはにほんの里100選に選出された[9]

現代アートの島

1996年(平成8年)より国土庁や愛知県の後押しを受けて、「生活と芸術」をテーマに「弁天海港佐久島プロジェクト」が発足、現代美術(弁天海港佐久島アートフェスティバル/2000年までに3回開催)などによる島おこし活動が開始された。2001年(平成13年)からは、島の自然や伝統とアートとの出会いによって島の活性化を目指すという「三河・佐久島アートプラン21」が始まった[27][8]。これらの一連の動きの中で、1878年(明治11年)に建てられた民家を修復して交流施設にした「弁天サロン」や、築100年以上の民家を芸術作品の舞台とした「大葉邸」などが作品となっている[26]。島の至るところに現代アート作品が設置されている。

メディアでの登場

1999年(平成11年)3月から5月に中部日本放送(CBC)が放送した昼ドラマ「直子センセの診察日記」は佐久島を舞台としている[5]。2000年(平成12年)に新潮社から刊行された辻井喬の小説『風の生涯』の第4章は佐久島を舞台としている[5]。2010年(平成22年)に公開された映画「名探偵コナン 天空の難破船」では、主要登場人物の江戸川コナン怪盗キッドが佐久島に降り立った。

出身人物

脚注

注釈

  1. ^ なお、通俗的には「愛知三島」ではなく「三河湾三島」と呼ぶことのほうが多い。
  2. ^ ただし、SHIMADASでは「島嶋人が乗り人が下り春らんまん」「波の上をゆきちがふ挨拶投げかわしつつ」としている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 愛知県離島振興計画 Ⅱ 離島の現況愛知県、2013年
  2. ^ ゼンリン (1997)、132頁
  3. ^ a b c d 平凡社 (1988)、648-649頁「佐久島村」
  4. ^ a b c d e f g h 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、600頁
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 日本離島センター (1998)、198-200頁
  6. ^ a b c d 菅田(2000)、55頁
  7. ^ a b c 愛知県 (2003)、195頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 佐久島体験マップ三河・佐久島アートプラン21
  9. ^ a b c ルポ にほんの里100選31にほんの里100選、2013年7月8日
  10. ^ 平凡社 (1988)、649頁「佐久島古墳群」
  11. ^ 愛知県 (2003)、194頁
  12. ^ 平凡社 (1988)、649頁「佐久島古墳群」
  13. ^ 平凡社 (1988)、649頁「阿弥陀寺」
  14. ^ a b c 篠島・日間賀島の概要南知多町、2012年
  15. ^ 中日新聞社開発局 (2000)、343頁
  16. ^ 愛知県 (2003)、174頁
  17. ^ 新市の住所表示西尾市
  18. ^ a b c d e f 愛知県一色町佐久島「アートによる島おこし」総務省
  19. ^ 佐久島小・中学校について佐久島公式サイト
  20. ^ しおかぜ通学平成25年度4月転入学・入学・児童・生徒募集佐久島公式サイト
  21. ^ a b 沿革愛知県立内海高等学校
  22. ^ 愛知県公立高等学校入学者選抜制度について愛知県
  23. ^ a b c アクセス佐久島公式サイト
  24. ^ 「佐久島行船のりば」がオープンしました愛知県、2010年4月28日
  25. ^ 「あいちアートの森」を歩く(6)~一色町・佐久島プロジェクト=前編Let's Goあいち、2010年4月28日
  26. ^ a b 加藤 (2013)、48頁
  27. ^ 三河・佐久島アートプラン21とは?三河・佐久島アートプラン21

関連項目

  • 日間賀島 -三河湾三島のひとつ。離島振興法では3島を合わせて「愛知三島」という区分に含まれる。
  • 篠島 -三河湾三島のひとつ。

参考文献

  • 日本民俗学会編『離島の研究』集英社、1966年
  • 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』平凡社、1988年
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年
  • 『郷土資料事典 23 愛知県』ゼンリン、1997年
  • 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
  • 菅田正昭『日本の島事典』三交社、2000年
  • 中日新聞社開発局『愛知百科事典』中日新聞本社、2000年
  • 『愛知県民俗調査報告書2 西尾・佐久島』愛知県、2003年
  • 加藤庸ニ『原色日本島図鑑 – 日本の島443-有人島全収録-』新星出版社、2013年(改定第2版)

外部リンク