リッチモンド・K・ターナー

揚陸指揮艦エルドラド(USS Eldorado, AGC-11)艦上のターナー中将

リッチモンド・ケリー・ターナー (Richmond Kelly Turner, 1885年5月27日 - 1961年2月12日)は、アメリカ海軍の軍人、最終階級は大将

ターナーはオレゴン州ポートランドに生まれる。1904年にカリフォルニア州からの推薦で海軍兵学校に入学、1908年6月に卒業し、続く四年にわたって様々な艦艇で勤務する。1913年にターナー少尉は短期間駆逐艦スチュワートの艦長任務に従事する。その後砲艦マリエッタ(USS Marietta)で勤務、続いて1916年から1919年にかけて戦艦ペンシルバニア(USS Pennsylvania, BB-38)、ミシガン(USS Michigan, BB-27)、ミシシッピ(USS Mississippi, BB-23)に乗艦する。

真珠湾攻撃に関するクラウゼン報告(スティムソン陸軍長官から議会に提出)では、海軍作戦部次長・少将(米軍の海軍参謀次長)として海軍全体に(ハロルド・スターク作戦部長以上の)権威をふるい、思いこみにより真珠湾防衛の計画を台無しにしたとされる。

第二次世界大戦中はガダルカナル島攻略作戦で水上部隊を指揮。

第二次世界大戦が終わるとターナーは海軍省の総合委員会に勤務し、国連軍事委員会のアメリカ海軍代表となった。ターナーは1947年7月に退役し、1961年にカリフォルニア州モントレーで死去した。

リーヒ級ミサイル巡洋艦の5番艦、リッチモンド・K・ターナー(USS Richmond K. Turner, DLG-20)は、彼に因んで命名された。