フェイ・ヴィンセント

フェイ・ヴィンセント
Fay Vincent
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フェイ・ヴィンセント
MLBコミッショナー
任期
1989年9月13日 – 1992年9月7日
前任者 A・バートレット・ジアマッティ
後任者 バド・セリグ(代行)
個人情報
生誕 (1938-05-29) 1938年5月29日(81歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
コネチカット州ウォーターバリー
出身校 ウィリアムズ大学
イェール・ロー・スクール
職業 弁護士、スポーツエグゼクティブ

フランシス・トマス “フェイ” ヴィンセント・ジュニア英語: Francis Thomas "Fay" VincentJr. , 1938年5月29日 - )は、アメリカ合衆国の弁護士、スポーツエグゼクティブ(第8代MLBコミッショナー)。

初期の人生・経歴

フェイ・ヴィンセントは1938年5月29日アメリカ合衆国コネチカット州ウォーターバリーにて出生し[1]アイルランド系アメリカ人の一家で育った[2]

ウィリアム・H・T・ブッシュ(のちの第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの弟)はホッチキス・スクール英語版時代の同期生である[3]。2人は夏休み期間中に一緒に遊び、ブッシュ家の邸宅で短時間の滞在を楽しんだこともあった[4]。その後に進学したウィリアムズ大学ではガードとしてアメリカンフットボールチームで活躍していたが、1年生の時にルームメイトのいたずらで寮の部屋の中に閉じ込められてしまい、部屋から脱出するために4階の建物の上によじ登った時に氷で滑って落下して背骨を破砕骨折・足が麻痺する怪我を負ってしまう。手術とその後のトラクション英語版に3か月を費やした[3]。初期診断ではもう二度と歩けないだろうと言われたが、大学を卒業する頃には杖を必要としなくなるまでに回復した[3]。ウィリアムズ大学とその後に通ったイェール・ロー・スクールはどちらも優秀な成績で卒業したヴィンセントであったが、事故の後は二度とスポーツをプレーしなかった[5]

イェール・ロー・スクールを卒業した後はニューヨークにあるホイットマン・アンド・ランサム法律事務所のアソシエイト、次いでワシントンD.C.にあるキャプリン・アンド・ドライスデール法律事務所のパートナーとして働いた[1]アメリカ証券取引委員会(SEC)法人金融部のアソシエイト・ディレクターを務めたのもこの頃である[1]

1978年にコロンビア・ピクチャーズの社長兼最高経営責任者(CEO)に指名された[1]。1982年3月にコロンビア・ピクチャーズがコカ・コーラに買収されたのに伴い、コカ・コーラ社のシニア・バイスプレジデント(専務)に任命され、さらに1986年4月にはエグゼクティブ・バイスプレジデント(副社長)に昇進して同社のエンターテインメント活動全般を担当するようになった[1]

コミッショナーとして

10年来の友人であるメジャーリーグベースボール(MLB)のコミッショナーA・バートレット・ジアマッティからの要請を受け[6]1989年4月1日に副コミッショナーとして球界入りした[5]。ところが、ジアマッティはそのわずか5か月後の同年9月1日に急死してしまう[1]9月13日にオーナーたちは全会一致でヴィンセントを第8代MLBコミッショナーに選出した[1]

ピート・ローズの追放

ピート・ローズの野球界からの永久追放処分にも関わっていた。調査を主導し、交渉を担当していたのは当時副コミッショナーのヴィンセントであった[6]。2015年1月に掲載されたトレジャーコースト新聞英語版社説の中ではローズはクーパーズタウンアメリカ野球殿堂)から永久に排除されるべきとの考えを述べている[7]

2004年に製作されたテレビ映画堕ちた打撃王 ピート・ローズ英語版』ではアラン・ジョーダンがヴィンセントを演じた[8]

1989年のワールドシリーズ

1989年10月17日17時4分にロマ・プリータ地震が発生した時、ヴィンセントは30分後にオークランド・アスレチックスサンフランシスコ・ジャイアンツワールドシリーズ第3戦が行われる予定の場所、サンフランシスコ市内キャンドルスティック・パークの三塁側ダグアウト英語版後方のフィールドボックスに着座していた[5]。大きな揺れが球場内を襲った後、フィールド内に突入したサンフランシスコ市警察ポリスカーのスピーカーより、市警察の指揮を執るアイザイア・ネルソンが試合を延期するというヴィンセントによる説明を中継して球場内の観客に伝えた[5]。姿が見えるようにしておくだけで観客が安心するとネルソンから忠告され、ヴィンセントは5時間近くもフィールド内あるいはその近くにとどまり続けた[5]

第3戦は5日後に延期されたが、インフラの問題が原因で試合の開催はさらに5日先延ばしにされた[9]。ヴィンセントはリグレーフィールドコミスキーパークキングドームアストロドームヤンキースタジアムシェイスタジアムをスタンバイ状態にしておき、シリーズの再開を1か月後まで延期するように要望を出したサンフランシスコ市長アート・アグノス英語版を説得した[10]

1990年のロックアウト

1990年シーズン開始前の労使交渉は行き詰まりを見せ[1]、同年2月15日にオーナー側はスプリングトレーニングのキャンプを閉鎖してロックアウト1990年のMLBロックアウト英語版)を強行した[11]。オーナー側が選手会(MLBPA)に対して交渉に持ち出した提案は実績が6年以下の選手に出来高に基づく年俸水準を求めることで年俸調停と個々の選手が代理人を使う必要をなくし、NBAが採用しているサラリーキャップNBAサラリーキャップ)をモデルに収益を分け合うというものであったが、ヴィンセントが介入したことで1週間後にはこの提案を取り下げた[11]。ヴィンセントの仲介の下で労使双方は意見の食い違いに妥協して制度を大幅に変更することもなく[11]、3月18日にロックアウトは解除された[1]。翌19日に労使間が基本合意に達した新労働協約では選手の最低年俸を68000ドルから10万ドルに引き上げ[12]、2つのオーナー-プレイヤー委員会(経済構造を調査するための委員会と労使関係を改善させるための委員会)を設立し[12]、オーナーの共同謀議英語版に対して選手の保護を強化することなどが規定された[11]

1990年シーズンの開幕戦はスプリングトレーニングに十分な時間を費やすために1週間遅れになったが、早期和解は162試合制のレギュラーシーズンを完全に実施するのを可能にした[1]。1990年6月にベースボール・アメリカ誌から将来の労使交渉について尋ねられたヴィンセントは「次の交渉では対立はありませんなどと皆さんやアメリカの大衆に約束するなんて、非現実的で甘いと思います」と悲観的観測を述べている[13]

ジョージ・スタインブレナーの追放

ニューヨーク・ヤンキースのオーナー、ジョージ・スタインブレナーはチーム所属選手デーブ・ウィンフィールドとの確執に起因して、彼の「スキャンダル」探しのためにギャンブラーのハウィー・スピラに4万ドルを支払った。この事件に憤慨したヴィンセントは1990年7月30日にスタインブレナーに野球界からの永久追放処分を科した[14]

処分から2年が経過した直後にヴィンセントは考えを改め、スタインブレナーの永久追放を取り消した[15]。ヴィンセントはスタインブレナーの復帰予定日を1993年3月1日に設定し、その予定通りにオーナー職に復帰した[16]

1993年のエクスパンションに備えて

ヴィンセントの任期中に1977年以来のエクスパンション1993年のMLBエクスパンション英語版)を実施することでナショナルリーグに新たに2球団が加わり、MLBは1993年シーズンから28球団に増加することが決まった[1]1991年6月にはヴィンセントはナショナルリーグのエクスパンションによる1億9000万ドルの収入のうち、アメリカンリーグは4200万ドルを受け取ることになり、その見返りとしてアリーグはナリーグ(新規球団のコロラド・ロッキーズフロリダ・マーリンズも含む)が実施するエクスパンションドラフト1992年のMLBエクスパンションドラフト)に選手を提供することになるだろうと言明した[17]

統計的な精度のための委員会

ヴィンセントによって設立された「統計的な精度のための委員会」は1991年9月4日に従来のノーヒットノーランの定義を変更した。「少なくとも9イニングをフルに投げ、なおかつ完投すること」とした。このため、1990年8月1日の試合で8イニングを無安打に抑えながら4失点で敗戦投手となったヤンキースのアンディ・ホーキンス英語版はノーヒットノーラン達成者とは認められないことになった[18]

委員会は同日に、154試合制でシーズン本塁打記録を樹立したベーブ・ルースと162試合制でシーズン本塁打記録を樹立したロジャー・マリス、両者の記録を併記すべきとした1961年フォード・フリック(第3代MLBコミッショナー)の決定を覆し、マリスが唯一のシーズン本塁打記録保持者であるとの判断も下した[19]

スティーヴ・ハウの追放

薬物・アルコール関連の7度目の騒動を起こしたヤンキースの投手スティーヴ・ハウに対し、ヴィンセントは1992年6月8日に野球界からの永久追放処分を科した[20]。ヤンキースの上級幹部の3人(バック・ショーウォルタージーン・マイケル、ジャック・ローン)がハウに代わって証言することに同意した時、ヴィンセントは彼らも追放すると警告した[21]

処分からわずか数か月後にヴィンセントはコミッショナーを解任されることになった[21]。仲裁人のジョージ・ニコラウは約束していた補導と薬物検査の支援をコミッショナー事務局が与えていなかったのだからこの処分は厳し過ぎるとして[22]、1992年11月12日にヴィンセントの決定を覆す判断を下した[23]

1992年の地区再編問題

ヴィンセントは1992年7月6日にシカゴ・カブスセントルイス・カージナルス西地区に、アトランタ・ブレーブスシンシナティ・レッズ東地区に編入させて翌シーズンを開始出来るように再編成をするよう、ナリーグ機構に命じた[24]。ナリーグ会長ビル・ホワイト英語版はリーグの承認なしに再編を行うのはナリーグの規約に違反しているとヴィンセントを批判した[24]

この再編対象となった4球団のうち、カブス球団(シカゴ中部標準時を採用)のみが西海岸で行われる試合の開始時間が遅くなるためにシカゴ・トリビューン傘下の地元テレビ局の収入が減少してしまうのを懸念して反対し[25]、命令の無効を主張して地方裁判所英語版訴訟を提起した[26]。7月23日に仮差し止め命令英語版が付与されたため、ヴィンセントは即座に抗告する意思を表明した[27]口頭弁論は8月30日に予定されたが、訴訟を再開する前にヴィンセントがコミッショナーを辞任したため、カブス球団は訴訟を取り下げた[4]

その他

1990年8月10日のフィラデルフィア・フィリーズニューヨーク・メッツ戦の試合中に発生した乱闘をおさめようとして、審判員ジョー・ウエスト英語版はフィリーズの投手デニス・クック英語版の体を地面へ投げ倒した[28]。ナリーグ会長ビル・ホワイトはウエストの出場停止処分を検討したが、ヴィンセントが介入して不問に付した[29]

日本任天堂グループがシアトル・マリナーズを買収する計画を発表した際、ヴィンセントは北アメリカ(アメリカ合衆国とカナダ)以外の出資を認めないという従来の方針を再確認した[30]。オーナー会議で全会一致で任天堂のマリナーズ球団買収が承認されたのは買収契約が成立した1992年4月3日より、2か月以上も後の6月9日のことである。オーナーとなる山内溥は持ち株を半分以下に抑え、ヴィンセントは懸念が解消されたと述べた[31]

アリーグの指名打者制度に反対する考えの持ち主であり、その廃止を検討していた[32]

辞任へ

MLB球団のオーナーとコミッショナー間の関係は希薄であった。オーナーの多くはヴィンセントがしばしば強権的に振る舞うのを嫌い、1990年のロックアウトの際には彼があまりにも多くの問題で選手会側に味方したと見ていた[33]。また、彼の任期中にテレビ放映権英語版収入が減少したのとその視聴率の低下が進行したことに失望していた[33]

1992年9月3日に開催されたオーナー会議では賛成18・反対9(棄権1)でコミッショナーの不信任が決議された[34]。9月7日にヴィンセントはコミッショナー職を辞任する意思を表明、「長引く戦いを避けるため」とその理由を説明した[35]

ヴィンセントを失脚させるために暗躍した以下の5人の実力者をマスメディアは「ザ・グレートレイクス(五大湖)・ギャング」と名付けた[4]

一方でヴィンセント支持派の筆頭は30年来の知り合いのテキサス・レンジャーズのオーナー、ジョージ・W・ブッシュ(のちのアメリカ合衆国第43代大統領)であった。3日前にヴィンセントと話をした時に受けた印象として彼は辞任しないだろうと考えていたので、突然の辞任表明には驚きを隠し切れなかった[36]

ヴィンセントは辞任に際し、次のように述べている[4]

オーナーの機嫌を損ねずに仕事をするなんて不可能です。28人のボス全員を幸せにすることなんて出来ません。人々は私が最後のコミッショナーだと言ってきた。もしそうなら、それは悲しいことだ。手遅れにならないうちに、彼ら(オーナー連中)が失敗から学ぶことを願っています。

1992年9月10日にコミッショナー代行に指名されたバド・セリグは臨時の役割を果たすのは選手会との新しい取り決めがまとまるまでの間に限るという誓約を交わした[37]

コミッショナー退任後の人生

ヴィンセントは1997年後半から2003年までニューイングランド大学対抗野球リーグ英語版(NECBL)の会長を務め、再び注目を浴びることになった[38]

2002年に『The Last Commissioner: A Baseball Valentine』と題する自伝を執筆した[39]。他にも3冊の著書が出版されている。

2005年7月にはコミッショナー在任中に自身がドーピング問題を過小評価していたことを認め、選手会が同問題に対して依然として及び腰であると指摘した[40]

著書

  • The Last Commissioner: A Baseball Valentine (2002年) (ISBN 978-0743244527)
  • The Only Game in Town: Baseball Stars of the 1930s and 1940s Talk About the Game They Loved: Volume 1 (2006年) (ASIN B000GCFD1I)
  • We Would Have Played for Nothing: Baseball Stars of the 1950s and 1960s Talk About the Game They Loved (2008年) (ISBN 978-1416553427)
  • It's What's Inside the Lines That Counts: Baseball Stars of the 1970s and 1980s Talk About the Game They Loved (2010年) (ISBN 1439159211)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k Commissioners” (英語). MLB.com. 2015年4月16日閲覧。
  2. ^ Roger Cohn (1990年6月3日). “NOTHING BUT CURVE BALLS” (英語). NYTimes.com. p. 3. 2015年4月16日閲覧。
  3. ^ a b c Roger Cohn (1990年6月3日). “NOTHING BUT CURVE BALLS” (英語). NYTimes.com. p. 4. 2015年4月16日閲覧。
  4. ^ a b c d Jerome Holtzman. “The Commissioners Baseball's Midlife Crisis” (英語). NYTimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e Erik Malinowski. “Fay Vincent Gets The Last Word” (英語). FoxSports.com. 2015年4月16日閲覧。
  6. ^ a b Roger Cohn (1990年6月3日). “NOTHING BUT CURVE BALLS” (英語). NYTimes.com. p. 2. 2015年4月16日閲覧。
  7. ^ Jerry Crasnick (2015年1月21日). “Pete Rose: 25 years in exile” (英語). ESPN.com. 2015年4月16日閲覧。
  8. ^ Hustle (2004 TV Movie) Full Cast & Crew” (英語). IMDb.com. 2015年4月16日閲覧。
  9. ^ Mike Axisa (2014年10月17日). “25 Years Ago Today: Loma Prieta earthquake interrupts World Series” (英語). Mercurynews.com. 2015年4月16日閲覧。
  10. ^ Jim Reeves (2014年10月15日). “1989 World Series: ppd.” (英語). Star-Telegram.com. 2015年4月16日閲覧。
  11. ^ a b c d エイブラムス(2006年) p.145
  12. ^ a b Michael Bamberger,Glen Macnow (1990年3月20日). “For Baseball, Fallout From The Lockout” (英語). Philly.com. 2015年4月16日閲覧。
  13. ^ エイブラムス(2006年) p.172
  14. ^ Mike Puma. “'The Boss' made Yankees a dictatorship” (英語). ESPN.com. 2015年4月16日閲覧。
  15. ^ Jim McLennan (2011年4月18日). “Baseball's Greatest Scandals, #10: Steinbrenner vs. Winfield” (英語). AZSnakePit.com. 2015年4月16日閲覧。
  16. ^ George Steinbrenner Chronology” (英語). Baseballlibrary.com. 2015年4月16日閲覧。
  17. ^ Commissioner Fay Vincent Biography” (英語). Baseball-Almanac.com. 2015年4月16日閲覧。
  18. ^ Andy Hawkins Stats” (英語). Baseball-Almanac.com. 2015年4月16日閲覧。
  19. ^ Murray Chass (1991年9月5日). “BASEBALL; Maris's Feat Finally Recognized 30 Years After Hitting 61 Homers” (英語). NYTimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  20. ^ Howe`s `Lifetime Ban` Lifted” (英語). Chicagotribune.com (1992年11月13日). 2015年4月16日閲覧。
  21. ^ a b JamieD (2013年6月24日). “This Day In Sports History (June 24th) — Steve Howe” (英語). TotalProSports.com. 2015年4月16日閲覧。
  22. ^ エイブラムス(2006年) p.163
  23. ^ Jack Curry (1992年11月13日). “BASEBALL; Arbitrator Puts Howe Back in Major Leagues” (英語). NYTimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  24. ^ a b Murray Chass (1992年7月7日). “4 Teams to Change Divisions As Baseball's Map Is Redrawn” (英語). NYTimes.com. p. 1. 2015年4月16日閲覧。
  25. ^ Frank Dolson (1992年7月8日). “Cubs Sue Commissioner Over Realignment Order The Team Challenges Fay Vincent's Authority.It Says He Can't Override The National League's Constitution.” (英語). Philly.com. 2015年4月16日閲覧。
  26. ^ Ross Newhan (1992年7月8日). “Vincent Sued by Cubs to Halt Realignment : Baseball: The commissioner exceeded his authority in ordering Chicago and St. Louis to the NL West, suit contends.” (英語). LATimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  27. ^ Ross Newhan (1992年7月24日). “Court Rules for the Cubs : Jurisprudence: U.S. district judge says Vincent overstepped his authority in moving team to West. Appeal filed.” (英語). LATimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  28. ^ Paul Hagen (1990年8月15日). “9 Penalized, But Brawl Not Over Yet” (英語). Philly.com. 2015年4月16日閲覧。
  29. ^ Murray Chass (1990年9月5日). “White-Umpire Dispute Is Defused by Vincent” (英語). NYTimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  30. ^ Ross Newhan (1992年1月25日). “Closing Door on Japan Isn't a Smart Play” (英語). LATimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  31. ^ Tom Farrey, Joni Balter (1992年6月9日). “M's Sale Gets Go-Ahead -- Full Acceptance Of Offer Predicted For Tomorrow” (英語). Seattletimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  32. ^ Roger Cohn (1990年6月3日). “NOTHING BUT CURVE BALLS” (英語). NYTimes.com. p. 5. 2015年4月16日閲覧。
  33. ^ a b Mike Tanier (2014年9月20日). “Goodell Is the Commissioner NFL Owners Want, and He Isn't Going Away” (英語). Bleacherreport.com. 2015年4月16日閲覧。
  34. ^ Glen Macnow (1992年9月4日). “Baseball Owners Demand That Fay Vincent Quit The Commissioner Says He Won't Go.A Battle Could Delay Realignment, Tv Negotiations And Labor Talks.” (英語). Philly.com. 2015年4月16日閲覧。
  35. ^ Scott Howard Cooper (1992年9月8日). “Fay Vincent Gives Up Post as Baseball Commissioner : Sports: He rejects litigation, saying he yielded to pressure from owners to avoid 'a protracted fight.'” (英語). LATimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  36. ^ Ross Newhan (1992年9月8日). “Decision Surprises the Rangers' Bush : Reaction: As the most vocal supporter of the commissioner, he had expected his longtime friend to fight.” (英語). LATimes.com. 2015年4月16日閲覧。
  37. ^ エイブラムス(2006年) p.173
  38. ^ New England Collegiate Baseball League” (英語). NECBL.com. 2015年4月16日閲覧。
  39. ^ The Last Commissioner: A Baseball Valentine” (英語). Amazon.com. 2015年4月16日閲覧。
  40. ^ Sam Carchidi (2005年7月14日). “Vincent: Baseball reflection of society The ex-commissioner was in Camden to address business and community leaders.” (英語). Philly.com. 2015年4月16日閲覧。

参考文献

  • Roger I. Abrams (原著), 大坪正則 (翻訳), 中尾ゆかり (翻訳)『実録 メジャーリーグの法律とビジネス』大修館書店、2006年。ISBN 978-4469266092