オオカミの再導入

イエローストーン国立公園のオオカミ(ハイイロオオカミ)Canis lupus occidentalis
追跡調査用に電波発信機つきの首輪をつけている

オオカミの再導入(おおかみのさいどうにゅう)とは、オオカミ絶滅した地域に、人がオオカミの群れを再び作り上げることである。オオカミにとって適した自然環境が広い範囲で残っており、同時に獲物となる生物が十分にいる地域である場合に限って検討される。以下、この記事中では単に「再導入」と表記する。

概要

アメリカ合衆国ロッキー山脈の北部に位置するイエローストーン国立公園アイダホ州では、約30年間の計画の見直しと関係者の話し合いを行った後、オオカミの再導入を行い、オオカミの群れを回復することに成功した。アメリカ合衆国の別の2-3の地域やヨーロッパの国々でも、再導入は検討され続けている。過去の例でも現在検討中のものでも、対象地域の人々は、家畜の敵である肉食動物捕食者)の再導入に、反対することが多い。しかしながら、欧米では、オオカミや他の捕食者への見方は、過去のもの(狼に関する文化を参照)から変わってきている。つまり、捕食者が生態系に存在することで環境が維持されることに対して、理解を示すようになってきている。再導入を成功させた2つの地域では、この理解の広がったことが、再導入を開始するために最も重要であった。 アリゾナ州でも、北部とは別の亜種・メキシコオオカミの再導入が1998年から始まっている。

日本においても再導入を提唱する人々がいるが、生息域の確保の問題・人間と接触する可能性などが指摘されており、2008年時点では多数意見ではない[* 1]

イエローストーン国立公園とアイダホ州

ワピチ(アメリカアカシカ・北米名エルク)Cervus canadensis

イエローストーン国立公園とアイダホ州で再導入が開始されたのは1995年である。

オオカミの絶滅から再導入の提案まで

イエローストーン国立公園では、地元牧場主たちと環境保護団体は、再導入について何年も討論を続けてきた。生物学者によって再導入のアイデアが議会に最初に提出されたのは1966年である。しかしながら、牧場主たちは、家畜が襲われることの問題をオオカミを疫病に喩えて、再導入に強く反対した。

それらの生物学者は、イエローストーンのワピチ(アメリカアカシカ Cervus canadensis)が危機的状況まで増加していると心配していた。1926年を最後に、公式にオオカミの殺生が記録されることはなくなった。その後、オオカミの獲物となっていたワピチや他の動物が増加し、その結果、植生に被害が出た。オオカミが果たしていた捕食者としての役割の一部はコヨーテが果たすことになったが、コヨーテはワピチのような大型草食動物の大きな群れを制御できなかった。さらには、コヨーテの個体数が増加したことによって、コヨーテより小さな動物、特にアカギツネが減少してしまった。1978年に生物学者ジョン・ウィーバーはイエローストーンのオオカミは絶滅したと結論した[1][2]

準備期間

合衆国政府は、妥協案の作成・条件整備・実行について責任を負い、妥協点を探し出すのに約20年間をかけて努力を続けた。1974年にオオカミ回復チームが任命され、1982年には意見を集めるために最初の公式の回復計画(Recovery Plan)を公表した。オオカミ再導入に対する一般的な不安があったため、政府および地方政府の判断を加えやすくするように、魚類野生生物局(仮訳:Fish and Wildlife Service)は計画を変更した。そのようにして、意見を集めるための2番目の回復計画が1985年に公表された。同じ年に行われたイエローストーン国立公園の訪問者へのアンケートでは、74%の人がオオカミが公園の改善に必要かもしれないと回答し、60%の人が再導入に賛成した。再導入に承認を与える前の最終段階として、実施した場合の影響の事前評価(環境アセスメント)があった。連邦議会は、環境アセスメントへの支出をする前に更に研究が必要であるとして、計画を差し止めた。

1987年に牧場主たちは、再導入提案者に経済的負担に対する補償を持ちかけた。それに対してDefenders of Wildlife(アメリカ合衆国の自然保護団体)は、オオカミによる被害で失われる家畜の市場価格を牧場主たちに補償するために、「オオカミ補償基金」を準備した。その同じ年、最終的な回復計画が発表された。その後、研究・公的な教育・意見募集を行い、公開検討を加えるために1993年に環境影響評価書(環境アセスメントの結果報告書:Environmental Impact Statement)の草稿が発表された。この環境影響評価書には15万以上の意見が寄せられ、1994年5月に成立した。

元の計画には3つの回復地域(イエローストーン国立公園・アイダホ州・モンタナ州)が含まれていたが、モンタナ州は北西部に小さいながら繁殖している群れが確認されたので回復地域から外された。回復地域に再導入されるオオカミは、絶滅危惧種法に規定する「実験的で本来的ではない」分類[3]に区分されている。この区分により再導入されたオオカミは同法の保護対象から外れることになる。これは再導入提案者と牧場主との間の妥協の1つである。

再導入のために箱に入れられて運ばれるオオカミ(1995年1月)
オオカミ再導入地域
ハイイロオオカミ
メキシコオオカミ

再導入直前の民事訴訟

1994年の後半の2つの民事訴訟によって、回復計画は危機にさらされた。それらのうち1つはワイオミング州Farm Bureau (農業局または農業団体?)による提訴[1]であり、もう片方は環境保護団体の連合体による提訴であった。後者は、未確認の目撃情報を元に、北側からイエローストーンにオオカミが既に移住している証拠があり、同じ地域に実験的な群れを再導入するのは既存のオオカミにとって脅威となると主張した。これらの訴訟があったものの、1995年1月から再導入が開始された(前者の訴訟は1995年1月3日に棄却。後者の訴訟については経緯不明であるが、再導入の障害とはなっていない)。

再導入とその後の経過

1995年1月連邦政府は、カナダアルバータ州から野生のオオカミの輸送を始めた。しかしながら、1月9日にFarm Bureauから差し止め請求があったため、それが同年3月19日に棄却されるまでオオカミを放すことができなかった。そして3月21日、オオカミの檻の扉は開けられた[1]。また1996年1月にも追加のオオカミが放された。2006年12月段階で、イエローストーンとアイダホ州には約1,100頭のオオカミが生息しており、その他の北ロッキー山脈地域と合わせると合計で少なくとも1,240頭のオオカミが生息している[4]。この頭数は、当初の計画が予定していたものを上回って推移している[5]

イエローストーン国立公園では、再導入によって生物多様性が増えたことが報告されている[6]。それはワピチの個体数の減少によって植生が増えためであると考えられ、アカギツネや公園内では絶滅状態であったビーバーの個体数の増加が観察された。この動物層の変化は、オオカミがコヨーテの個体数を制御しているためであろう。なお再導入後に、オオカミが家畜を襲う事件と人がオオカミを殺傷する事件が起きるようになった。家畜被害のうちオオカミによることが確認されたものについては、前述の「オオカミ補償基金」によって補償されている[1]

アリゾナ州

メキシコオオカミ Canis lupus baileyi

メキシコオオカミ(メキシコハイイロオオカミ)は、アリゾナ州ニューメキシコ州テキサス州およびメキシコに分布していた。かつては懸賞金が掛けられるなど駆除の対象となっており、アメリカ合衆国では1970年代にはほぼ絶滅の状態であった。しかしながら、1973年に絶滅危惧種法が制定され、また亜種と認められたことによって、メキシコオオカミに対する評価が変わった。

アメリカ合衆国では1976年絶滅危惧種に指定されたが、一方でメキシコではオオカミの回復が進んでいた。このような背景の下、メキシコからアメリカ合衆国へメキシコオオカミを再導入するための2国間協定が、1977年1980年に結ばれた。1982年には回復計画が作成され、少なくとも100個体のメキシコオオカミの自立した個体群を作り上げることが推奨された。1980年代を通して再導入の準備が続けられ、最終的な環境影響評価書が完成したのは1996年である。この時、東アリゾナのアパッチ国有林と西ニューメキシコのヒラ国有林が再導入に適切な地域として選定された(二つの国有林を総称して'Blue Range Wolf Recovery Area'という)。また、北ロッキー山脈地域と同様に、再導入されるオオカミは「実験的で本来的ではない」と規定された。

1998年3月29日、11頭のメキシコオオカミが Blue Range Wolf Recovery Areaに放された。その後も再導入が続けられており、2006年にはこの地域で59頭のメキシコオオカミの生息が確認されている[7]

中央ヨーロッパと西ヨーロッパ

オオカミが絶滅したと考えられるいくつかの地域で、再導入が活発に検討されている。デンマークドイツイタリア、およびスコットランドなどのヨーロッパ各国の非政府組織[8]、田舎の森林地帯に再導入することを提唱している。提案者達は「再導入は観光や生物多様性に利益がある」と主張するが、一方で再導入による家畜の損失を恐れる意見がある。いくつかの国では非政府組織から、アメリカ合衆国で実施されているのと同様の補償が提案されている[9]

関連項目

脚注

  1. ^ 外部リンク「日本オオカミ協会」ではニホンオオカミの代わりの導入を提唱しているが、学術的には北海道のエゾオオカミの代わりとしての導入が研究されており、その賛否には両論がある。 - 関連する論文は、外部リンク"Wolf Network JAPAN"の関連サブページから知床博物館研究報告を参照されたい。

参考資料

  1. ^ a b c d Defenders of Wildlife (2006), "A Yellowstone Chronology."
  2. ^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「北ロッキー山脈オオカミの回復計画」(1987年) 。英語・pdfファイル
  3. ^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局「絶滅危惧種法」(1973年) pp.34-35 第10節 例外規定(j)実験的個体群。英語・pdfファイル
  4. ^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局 "Gray wolf factsheet"(2007年) 。英語・pdfファイル
  5. ^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局 "Rocky Mountain Wolf Recovery 2005 Interagency Annual Report"(2006年)。英語・pdfファイル
  6. ^ "Lessons from the Wolf -- Bringing the top predator back to Yellowstone has triggered a cascade of unanticipated changes in the park's ecosystem"(2006)
  7. ^ アメリカ合衆国・魚類野生生物局 "Wolf Recovery in North America"(2007年) 。英語・pdfファイル
  8. ^ Wild wolves "good for ecosystems"
  9. ^ "Wolf Trust: understanding of wolves & natural heritage of Scottish Highlands."

外部リンク

本記事のアメリカ合衆国の例について
中国新聞記事「害獣対策 オオカミ浮上」
4.オオカミ再移入の実験(再導入のいきさつを絶滅危惧種法(ESA)の観点から解説)
BBC: Wild wolves 'good for ecosystems'
アメリカ合衆国・魚類野生生物局
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 北ロッキー山脈のハイイロオオカミ(英語)
アメリカ合衆国・魚類野生生物局 メキシコハイイロオオカミ回復計画(英語)
日本国内への再導入について
日本オオカミ協会 - 肯定意見
Wolf Network JAPAN - 否定意見
再導入のガイドライン - 絶滅種の再導入に関する国際自然保護連合の指針
知床博物館 - 知床博物館研究報告(スパム・フィルターにより現在は外部リンク不能)